スポーツ国際戦略私論 4 続・北京オリンピック観戦雑感
§4 柔道とJUDO
改めて柔道について。
さて、今回の柔道競技の戦績を見て創始者である嘉納治五郎は果たして如何なる感想を持つだろうか? 日本人の成績に不甲斐なさを覚えるより、むしろ柔道が世界中に広がった事を喜ぶのでは無いだろうか。
柔道がオリンピックの正式競技となったのは1964年の東京オリンピックからだ。わざわざ年代を附加したのは、本来ならこのオリンピックは1940年に開かれる筈だったからで、この誘致に尽力したのが日本人初のIOC委員となった嘉納治五郎その人であったからだ。つまり、柔道が国際化することはその創始者の意図に叶うモノだったと思われる。
嘉納治五郎は武術であった柔術を体育=スポーツである柔術へと変えた。しかし、その結果として体重差のある相手には勝てない競技になってしまった。体重制限という枠が存在することから明らかなように「柔良く剛を制す」と言うのは幻想に過ぎない。スポーツである以上、ルールが時々の都合で変えられてしまうのは致し方ない。それを勝てない理由にしてはいけないのだ。
§5 再び野球vsサッカー
四年前に書いた時から何一つ変わっていないと思うのだが、オリンピックという舞台に置ける両競技について少し考えてみたい。
野球は今回の北京を持ってオリンピック競技から外れる。元々、野球は行われている地域が少なく、メダルを取れる国と言えば、今回予選を勝ち抜いた四ヵ国に限られるだろう。その中で最下位に終わってしまったのは残念ではあるが。これは有る意味で当然の結果と言える。世界を相手にしようという野球選手はほとんどが野球の最高峰であるMLBへ行ってしまっている。国内リーグで如何に最高のメンバーを集めようとも、世界を相手に戦える筈は無かったのだ。
既に、野球の国際大会としてWBCが始動している。これはメジャーリーガーが解禁された、真にその国の最高峰の野球選手が集う大会である。但し、その第一回ではその理念が完全に実現されたとは言い難いが、それは今後の課題だろう。
サッカーはベースボールよりは遥に国際的な普及率が高く、それ故にオリンピックを越える国際大会としてW杯が存在する。W杯というのはあらゆる競技で世界選手権を意味する(実際、日本ではワールドカップと言えばかつてはバレーボールのそれを意味していた)のだが、五輪よりW杯が明確に上位に位置付けられているするのは恐らくサッカーくらいだろう。これは五輪のアマチュア至上主義に基因するのだが、それについては次項にて触れる。
この両競技は良くも悪くも五輪の呪縛からは自由である。個人的には今のままのオリンピックなら、野球は競技種目として復活しない方が良いと思う。野球復活の為にはWBCの発展が不可欠だと思うがその鍵はアジア、つまり(WBCの第一回優勝国である)日本と(最後の金メダル国となった)韓国にあると思うのだが…。
§6 プロとアマ
アマチュアリズムとは、実は職業差別である。
アマチュアは競技を通じて賞金を得ては成らない。と言うのは誰しも納得出来るだろうが、肉体労働者は身体活動のプロなので、アマチュアとして認められない。と言われると、何故と思うだろう。しかしアマチュアリズムとは貴族に代わって台頭してきたブルジョアジーが肉体労働者をスポーツ競技会から閉め出すために作り上げた理念だったのである。
アマチュアによるオリンピックに対抗してプロフェッショナル歓迎(実質はプロによる大会)だったのがサッカーのW杯である。だから、サッカーのワールドカップは初めからオリンピックよりも格上の大会として存在した。そして、今ではオリンピックに年齢制限を課すことで、完全に序列化が為されている。サッカーがオリンピックからはみ出しているのはその試合が開会式よりも以前から始められたことからも伺えるではないか。FIFAの立場はU−23の大会の開催地をIOCに依託している(あるいはオリンピックに便乗している)と言う事になる。
日本ではまだプロとアマの垣根は大きい。そしてそれが最も悪い形で現れているのが野球界だろう。もはやプロのドリームチームを送り込んでもオリンピックで勝てないことは明らかとなった。メジャーのトップ選手を出さなかったアメリカの方が賢明である。メジャーリーガーはアメリカ人だけではないので、アメリカが必ずしも有利になるとは限らないのであるが。オリンピックは本選だけではなく予選もあるので、全面解禁はMLBの運営にも支障を来す。
WBCとの兼ね合いも考えれば、たとえオリンピックに野球が復活してもMLBからドリームチームが参戦することはもはや有り得ないだろう。そして野球に関してはそれで良いのだと思う。