覇権システム論

1 覇権システムと世界帝国

 覇権システムとは覇権国と呼ばれる強国を中心とした国際秩序である。これは旧来の世界帝国に替わる統治システムとして登場した。

 世界帝国覇権システムも中心と辺境と亜辺境と外部とから構成され、中心が辺境や亜辺境を収奪する点では共通する。ただし、覇権システムには世界帝国の様な全体を統括する政治的期間が存在せず、その中心も常に移動する。覇権国は大航海時代のトップランナーであるポルトガルに始まり、おおよそ100年周期で覇権国家が交替してきた。オランダの世紀と言われる17世紀を経て、18・19世紀は大英帝国によるパックスブリタニカと続く。

 覇権システムは極めて自由度の高い動的なモノであるが、その中心の移動に際して戦争を伴う。つまり戦争を必要悪として内在する制度でもあった。そしてそれを統御するために国際法が誕生した。逆に世界帝国ではそれと正反対に静的で、これを覆すには革命と言う形を取る。覇権システムはこの帝国の廃墟からそれに変わるモノとして誕生した。

 覇権国はシステムの維持に消耗を余儀なくされ、やがて挑戦国の反乱に倒れる。だが皮肉にも挑戦国が次の覇権国に成った例はない。最初の覇権国であるポルトガルに対する挑戦国はスペインであるが、次の覇権国となったのはオランダであった。そのオランダもフランスの挑戦(ルイ14世時代)を受け没落し、次の覇権を手にしたのはオランダの同盟者イギリスであった。

 イギリスは再度のフランスの挑戦(ナポレオン戦争)を乗り切るが、二度に渡るドイツの挑戦によりその覇権を新興国米国合衆国へ譲り渡す。

2 王者と覇者

 覇権システムというのはそもそも西欧列強の発明ではない。その起源は春秋時代の中国、最初の覇者・斉の桓公の軍師管仲に求められる。管仲は武力を背景にして諸侯を集め「会盟」を結ぶ。これが言ってみれば現在の国連に相当するだろう。会盟は牛の耳を切ってその血をすすって誓いを立てるのだが、ここから牛耳ると言う言葉が生まれている。

 覇者に対応するのが王者である。両者は対立関係ではなく相互補完関係にある。王者覇者に担がれる御輿であり、覇者王者の持つ権威を利用して大義名分を得る。本家の中国では王者覇者を一人で兼ねる皇帝が生まれた。そして両者を統合する理論として儒教が用いられた。

 日本の天皇制はこれをそのまま踏襲したモノであるが、皇帝システムを支える理論である儒教を受け入れなかったため権威と権力が分立したまま存続した。

 純粋な力だけで維持されてきた近代の覇権システムにはそもそも”王者の権威”は必要とされなかった。それに変わるモノは、強いて言えば覇権システムがもたらす国際秩序という名の”平和”であった。つまり平和とは目的ではなく、覇権システムを維持する為の手段でしかない。だから戦争の発生が覇権国の交代を引き起こすのである。

3 アメリカの覇権と江戸システム

 第二次大戦後のアメリカの覇権体制外部を持たない、言うなれば閉鎖空間に於ける覇権システムと言える。米ソの宇宙開発は新たな外部を求める試みであった。

 江戸システム=幕藩体制はまさにこの閉じた覇権システムに比定出来る。幕藩体制と戦後の冷戦構造という対比では、敗戦国である日本やドイツは薩長に相当する。あの大戦はドイツが主で日本はそれに便乗した面が強いので、ドイツが長州毛利家で日本が薩摩島津家であろう。

 東側諸国は豊臣恩顧の諸大名に相当する。戦前はマルクス思想に基づく計画経済が主流であり、資本主義というのは時代遅れだと思われていた。アメリカは共産主義に対する恐怖から赤狩りを行い、ドミノ理論に基づいてベトナム戦争へ踏みだしたのである。

 但し、核の抑止力により”大坂の陣”は起こらずに長く東西の冷戦状態が続いた。その所為で大きな戦争こそ無いが、小国同士の小競り合いや内戦は尽きることがなかった。この点が江戸時代と大きく異なる点である。

 東側諸国を豊臣恩顧の大名に比定したがソ連=豊臣家ではない。豊臣家に相当するのは前の覇権国家である大英帝国である。英国はアメリカ=徳川家にとってまさしく「旧主家」であり、また第二次大戦によって海外植民地を失った点も関ヶ原後の豊臣家に酷似している。

 英国と豊臣家の違いは、覇権の交代を素直に認め新たな覇者の下での生存を選んだ点にある。これでアメリカは覇権確立のためにうち倒すべき標的を共産陣営一本に絞ることが出来た。家康と秀頼の二条城での会見によって徳川と豊臣の主従関係が逆転が決定的になったが、これに相当するのが英国の政権交代、保守党サッチャー政権による市場革命であろう。英国はヨーロッパで主流だった社会民主主義を捨て、国有企業の「民営化」を大胆に推し進めていく。英国はドイツとフランスが押し進めるヨーロッパ統合路線を保留しつつもアメリカとの関係強化を図っている。英国の二股外交は今に始まったことではないが、この強かさは日本も見習いたいモノである。

 アメリカの覇権を支える大義は、冷戦時代には共産主義に対する脅威であったが、冷戦終結後には民主主義の拡大へと変わる。冷戦期には、親米で有れば国家の政治体制には拘らなかったアメリカが、一転してイラク攻撃に転じた事でも分る。

 国連はアメリカの覇権に大義を与える場ではなく、アメリカの覇権を承認する”会盟”の場である。これは武家諸法度に相当する。大英帝国の覇権は、本来手段である筈の平和に固執しすぎたが故に失われた。その反省の上に覇権を継承したアメリカは当然に平和に重きを置いていない。むしろ戦争を覇権維持のための手段として用いている様に見える。

 冷戦の終結により米国の覇権に対する挑戦国はソ連邦から共産中国へと代わったが、日本の立場は些かも変わらない。むしろ日米同盟の重要性は増したと言えるだろう。

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