外圧と歴史の転換

 広い意味では、また大河ドラマネタです。

 鎌倉幕府に致命傷を与えたのは元寇、室町幕府の時は直接の原因では無いけれど南蛮船の渡来、そして江戸幕府は黒船という具合に、日本の政体の転換の影には常に外圧が見え隠れします。だから日本を変えるには外圧が不可欠なのであると言う結論では、ここの趣旨に外れますね。もっと大きな視点からこれを検討してみましょう。

 元寇というのは世界史的な視点から見れば、パックス・モンゴリアの原理がユーラシア大陸を席巻していた時代であり、また室町末は大航海時代の、そして徳川末はヨーロッパ植民地帝国主義が世界の主流に成りつつある時代でした。とこうして並べて置いてなんですが、真ん中の大航海時代に関しては少し毛色が異なりますので、一寸脇にどけます。色を変えて置いた事で察していただけると良いのですが、大航海時代というのは世界史的な本流でなくあくまでもヨーロッパローカルな言ってみれば支流であったわけです。これはヨーロッパ史の上で十字軍に継ぐ第二の拡大成長時代に過ぎません。

 代わりに別の世界秩序スタンダードに関して紹介します。一つは聖徳太子の時代から壬申の乱あたりまでの大和朝廷動乱期(隋・唐による華夷秩序の時代)、下って二度の世界大戦の時代(列強の世界分割とナショナリズムの台頭)。これは世界スタンダードが日本を変革したと言う点で、二つの幕府の滅亡期とかなり様相が似ています。更に言えば現代とも通じる情勢です。隋唐アジアローカルじゃないかという意見も有ろうかと思いますが、隋唐、特に唐帝国イスラム帝国と世界を二分した大帝国で、しかもイスラムの影響を受けない唯一の大帝国ですから。この当時のヨーロッパはローマ帝国秦・漢ペルシアと世界を三分する最本流)が崩壊し、地方勢力に落ちていました。まあ世界帝国としてのローマ帝国の中心は帝都ローマではなくむしろもっと東にあったんですが。

 さて話を戻しますが、変革と言っても、各々の着陸点は異なります。第一の波、隋唐の華夷秩序に対しては、その文化を取り入れつつも独自性を保ち、独自の文化へと昇華させてしまいました。これは最高の成功例であった思います。二番目のモンゴルの世界帝国構想に対しては、きっぱりと拒絶を示したももの、残念ながら内部矛盾を払拭する前に指導者である時宗が燃え尽きてしまいました。第三の江戸末期、明治新政府植民地帝国化を選択し、世界大戦の業火に沈みます。だから最後の二つは連結して考えるべきでしょう。最後の例は世界スタンダードを無批判に受け入れた結果の自滅と言えましょう。

 外した室町末から江戸初期の時代はこれらとは別のカテゴリーに入ります。相手がローカルな勢力であったという事もそうですが、つまり鎖国という用語で表される、日本的な価値観の確立という別の流れです。言うなれば外からの潮流に乗せられなかった訳です。日本の長い歴史の中ではこういう独自路線を貫いた時期も有ったんですね。この路線が存在したもう一つの例が平安時代(遣唐使の派遣中止移行の国風文化の時代)でして、江戸時代と並んで極めて平和な安定した時代であったと言えます。

 今の世界秩序はちょっと読みにくいですが、経済的には自由貿易主義、思想的には人道主義あたりでしょうか。「民主主義」というのもありますが、これは単なる制度上の問題で、本質ではないというのは以前に紹介したと思います。中国もガットに加盟したし、後はテロが無くなればと言う事ですが、果たしてどうなるでしょうか。

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