バルカンレコンキスタ

 三十年戦争が発生しないため、バルカン方面ではキリスト教徒側が攻勢に出ている。史実のような戦争による人口減少の代わりに、バルカン方面への強制移住が行われる。史実におけるトランシルバニア・ザクセン人が拡大してハンガリー・ザクセン人と呼ばれるだろう。

 史実ではハンガリーの国民的英雄であるラーコーツィ・フェレンツ2世の成人・即位。史実ではトランシルヴァニアがハプスブルク領となる。

1589年

 エルンスト新帝、王領ハンガリーにカトリック信仰を強要。

93年

 オスマン軍、ブダに進軍。(*「長い戦争」)

94年

 バナト(現在のハンガリー・ルーマニア・セルビアにまたがる地域)でセルビア人やルーマニア人が蜂起。

95年

 トランシルヴァニア公バートリ・ジグモンド、新教派貴族派を粛清し国内での権力を確保。隣国ワラキアのミハイ勇敢公と同盟を結び、皇帝の従妹を娶る。

八月 カルガレニの戦い。ワラキアのミハイ勇敢公、オスマン軍を破る。

九月 オスマン軍、エステレゴン城塞をハンガリーに明渡す。

97年

 バートリ・ジグモンド、オポーレ公に封じられる。(*史実では引き換えにトランシルヴァニア公を皇帝ルドルフに譲渡)

99年

 ハンガリー貴族ボチュカイ・イシュトヴァーン、トランシルヴァニア公と対立し領地を没収。オスマン宮廷を頼る。(*史実ではルドルフ帝を頼る)

1600年

五月 ワラキア公ミハイ勇敢公、スチャヴァを攻略しモルダヴィア公を兼ねる。

 ミハイ勇敢公、ポーランドの干渉軍を退ける。

01年

八月 ミハイ勇敢公、ルーマニア王を名乗り、ルーマニア正教会の独立を宣言する。→ルーマニア建国

04年

 ボチュカイ・イシュトヴァーン、オスマン領ハンガリーで反乱を起こす。(*史実では対ハプスブルク反乱)

05年

 エルンスト帝の三弟マティアス、ハンガリー王位を与えられる。

06年

七月 ウイーン勅令。ハンガリー王国内でのプロテスタント信仰の禁止。(*史実では真逆の信仰の自由の承認)

九月 クルテア合同。ルーマニア東方典礼教会成立。

十月 ツィトバ=トロク講和条約。ハンガリー王国再統合。イエズス会によるカトリック化が推し進められる。

09年

二月 ポーランド王マキシミリアノ1世、ルーマニアと同盟を結ぶ。

11年

 初代ルーマニア王ミハイ1世死去。ラドゥ・ミフネアが後継に指名される。(*二度目のワラキア公即位)

13年

三月 トランシルヴァニア公バートリ・ジグモント死去。(史実では公位を追われプラハで客死)ベトレン・ガーボル、新たなトランシルヴァニア公に選ばれる。

17年

九月 ポーランドとオスマン帝国に和平が成立し、ルーマニア王国の独立が承認される。

19年

三月 ハンガリー王マティアス死去。後継としてトランシルヴァニア公ベトレン・ガーボルが指名される。クロアチアに軍政国境地帯が設定される。

21年

 ブジャクのノガイ族、オスマン帝国と組んでルーマニア・ポーランド連合軍と戦う。

十月 ドブルジャ地方がルーマニアに帰属する。

十二月 ニコスルブルク勅令。06年のウィーン勅令の確認。(*史実ではニコスルブルクの和約。ベトレン・ガーボルがハンガリー王位を返還し、代わりに信仰の自由を確認する)

26年

三月 ハンガリー王ベトレン・ガーボル、ブランデンブルギ・カタリン(ブランデンブルク選帝侯ヨーハン・ジギスムントの娘カタリーナ)と再婚。カタリン王妃共同統治者となる。

十二月 プレスブルク条約により北部ハンガリーの西半分をモラヴィア辺境伯領(モラヴィア大公と改称)に加え聖イシュトヴァーン王冠領から除外する。→大ハンガリーの画定

29年

十一月 ハンガリー王ガーボル1世死去。カタリン女王の単独統治。

30年

十二月 ラーコーツィ・ジョルジ、トランシルヴァニア公に任じられる。

39年

八月 ハンガリー女王カタリン再婚、義弟ベトレン・イシュトヴァーンに譲位。カタリン女王、ハンガリーの所領を養子ラーコーツィ・ジョルジ(トランシルヴァニア公の息子)に譲渡。

45年

五月 ハプスブルク、ヴェネツィアに加担してボスニアに侵攻を開始。

48年

十月 ハンガリー王イシュトヴァーン1世死去。カタリン前女王の養子ラーコーツィ・ジョルジが即位。

52年

 モンテネグロ、ヴェネツィアと同盟して世俗化、ツルナ・ゴーラ公を自称する。

57年

 ハンガリー王ジョルジ1世の息子フェレンツ、トランシルヴァニア公に任じられる。

60年

七月 ハンガリー王ジョルジ1世、オスマンとの戦闘で戦死。トランシルヴァニア公フェレンツが王位継承。

67年

 ドゥブロブニクの大地震。

69年

九月 オスマンとヴェネツィアの講和。ツルナ・ゴーラ公がサンジャク・コソヴォを領有。

76年

七月 ハンガリー王フェレンツ1世死去。息子フェレンツが幼いため王妃のイロナが女王となる。

83年

七月 ベオグラード包囲戦。(*第二次ウィーン包囲戦に相当)

九月 神聖同盟軍撤退。セルビア公国、オスマン宗主下での自治独立が認められる。

92年

十二月 フェレンツ2世、ハンガリー王に即位。

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