テーマ24 既死伝説

 英雄が死なずに生き延びていたとするのが不死伝説。それになぞらえて、実は既に死んでいて偽者が成り代わったとする説をここでは「既死伝説」と呼称する。更に言えばここで展開するのは家康の既死伝説である。

ネタの起源

 家康の既死伝説の起源が明治初期に書かれた「史疑・徳川家康事跡」である。

 これは桶狭間の直後、信長と戦おうとした松平元康が討ち死にし、世良田元信なる人物がこれに成り代わったと言うもの。つまり松平元康≠徳川家康ということになる。元信は元康の嫡子である竹千代、後の岡崎信康を密かに盗み出し、この後ろ盾になることを条件に松平家を乗っ取ったのだが、それを不服とした一部の家臣が起こした叛乱が三河一向一揆であるという。

 この設定だと、信康殺しがすんなり説明できる、と言うかこの疑惑が「史疑」執筆の動機になっているらしいが、一方で致命的な問題点でもある。石川数正が秀吉に寝返った理由が正嫡である信康が殺害されたことへの怒りであるならば家康の偽物話は秀吉側に伝わっていたはずで、暴露戦術が行われていないのがおかしい。松平家は家康の系統だけでは無いので、他の松平支家が黙っている保障もない。秀吉ならこの程度の調略は朝飯前だろう。

 そもそも影武者の本名が世良田二郎三郎と言う点が疑問である。この名前は家康の祖父松平清康の名乗りでもあるからだ。つまり(影武者としての)二郎三郎の実在を考慮すれば、祖父の代まで遡っての情報操作が行われたことになる。しかしながらこの名前は影武者すり替え計画に関与したごく一部の人間しか知らない訳で、徳川家にとっては無用の手間ではないか。

ネタの展開

 この「史疑」を下敷きにしたのが隆慶一郎「影武者徳川家康」になる。のだけどその前段階として「吉原御免状」を見ておく必要がある。「史疑」の世良田元信をベースにしつつも両作品の設定は微妙に異なる。「吉原」がデビュー作であることを考えると「影武者」は言うなればスピンオフ。原型=「吉原」では元信を見出したのは生きていた明智光秀こと天海。対して改訂=「影武者」では流浪時代の本多正信がこの役目を果たす。そして影武者の軍師としての島左近の投入。豊臣家を守って秀忠と戦うためにはまたとない人材fである。隆慶先生はこの「実は生きていた」設定がお好きですね。

 すり替えの時期が関ヶ原の最中と言うは元ネタ以上の無理筋である。これなら無名時代の「史疑」の方がまだ可能性が高い。以下ブログに書いた稿の再掲になるが、関ヶ原以降の家康が別人では無いかという作者の疑問の根拠の一つが前後で女性の趣味が変わったと言うもの。でも若い頃は後継ぎを儲けるために出産経験のある後家を相手にし、ある程度の子供が儲けられたから余生は若い女を愛でると言うのも自然でしょう。子供についても同様。関ヶ原以前は子供に対する愛情が無く、関ヶ原以後は違うと言うのも年を取って出来た子ほど可愛いというごく当たり前の話。

 他にも白土三平「カムイ伝」で家康の正体に「史疑」のネタが使われているらしい。家康が道々の者であるという設定が「影武者」とも共通する。但しその評価はおそらく真逆。「史疑」でもそうだが士農工商から外れた不可触民が隆慶作品では公界として肯定的に書かれている。これは書かれた時期の違いによるもので、隆慶作品には網野史観が色濃く影響している。

ネタの旋回

 「影武者」のアイディアを更に捻ったのが荒山徹「徳川家康」である。関ヶ原で身代わりを務めた家康の影武者が実は朝鮮人であったという設定で、宿敵である豊臣家を滅ぼそうとする影武者と豊臣家との融和を図る秀忠という、元ネタの状況をひっくり返したもので、史実的にはむしろこの方が無理が無い。但し「影武者」で辻褄あわせに苦心していた部分をかなり吹っ飛ばしているので単独では成立しにくいと言う点が本歌取り作品の宿命ですね。

 前稿の繰り返しになりますが「知らなくても楽しめるのが正道」であり、この作品に至っては「知らないと(十分に)楽しめない」と言う点で邪道に陥っているのが残念。

ネタの応用

 さてこれをRPGに援用するなら、小説にも良くある定式ですが、タイムスリップした主人公が歴史上の人物の身代わりになってその歴史を繋ぐという展開が使えそうです。

 実は主人公の現代人が有利なのは主に歴史をつまりその時点では未来を知っているという点にあります。派手に歴史を変えてしまうとその利点が失われて持っている能力だけで勝負しなければならないので、できる限り歴史に逆らわず最小限の危機回避にとどめると言うのが正しい戦略でしょう。

関連稿・世羅田元信の謎

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