ディファレンス・エンジン年表 日本篇 

1811年

 高橋景保の建白により、蛮書和解御用掛設立。

17年

9月 水野忠邦、肥前唐津より遠州浜松へ転封。その結果押し出されて浜松の井上家が奥州棚倉へ、棚倉の小笠原家が唐津へ移される。

23年

3月 白河松平家、先代定信の希望で藩祖の封地桑名へ転封。桑名奥平家が武蔵忍へ、忍の阿部家が白河へ移される。

7月 ドイツ人医師シーボルト来日。

25年

2月 異国船打ち払い令。

27年

 調所広郷が薩摩藩の財政再建に登用される。

28年

 シーボルト、高橋景保より貰った日本地図を本国へ持って出国する。

29年

7月 シーボルト帰国。日本に関する著作を開始する。

32年

 シーボルトの著作・『ニッポン』の英語訳がこの年から刊行(原書は前年より刊行開始)。これが後に英国の日本遠征の引き金となる。

33年

 天保飢饉、これより5年余り続く。江戸大坂への廻米が奨励される。(35年より制度化される)

34年

2/28 老中首座・水野出羽守忠成死没。後任として水野越前守忠邦、西の丸老中より転任(3/1)。

35年

12月 寺社奉行脇坂中務大輔、仙石騒動を裁く。吟味物調役・川路聖謨、勘定吟味役に抜擢される。

37年

2月 大塩平八郎の乱。

4/23 将軍家斉隠居。

6月 モリソン号事件。

7月 脇坂中務大輔、老中に就任。翌月、太田備後守が入れ替わりで就任僅か4ヶ月で退任。

9/2 家慶、将軍に就任。

38年

5/14 将軍・家慶世嗣家祥、急死。

8月 水戸斉昭の意見書。

39年

1〜3月 目付・鳥居耀蔵、韮山奉行江川太郎左衛門、江戸沿岸の巡検。両者に反目生じる。

5月 目付鳥居耀蔵、渡辺崋山を始めとする洋学者26人を逮捕。(蛮社の獄)。

10/01 英国、日本への艦隊派遣を決定。

40年

7/08 英艦隊日本到着。江戸湾へ侵入して開国を強く要求。水野越前守、これを受けて無二念打ち払い令の撤回を決定し、同時に「蛮社の獄」の関係者を赦免する。実行者・鳥居耀蔵、讒言の咎を責められて失脚。

7月 毛利敬親、村田清風に改革を指示する。

 赦免された高野長英、高橋景保より洋学所(蛮書和解御用掛より改称)に招聘される。

9月 高島秋帆、幕府砲術方を命じられる。この後、江川太郎左衛門らに砲術を伝授。

11月 水野越前守、三方領地替えを断行。出羽庄内の酒井家を越後長岡へ、長岡牧野家を武蔵川越へ、川越松平家を庄内へ。酒田・新潟の両港が幕府の直轄領となる。

41年

1/07 徳川家斉、没。69歳。家慶の五男一橋慶昌、将軍家世嗣として西丸入り。

2/24 老中・松平伊豆守、免職。代わって堀田備中守正篤が就任(3/24)。

3/31 日英和親条約締結。

6月 和親条約を楯に、江戸・大坂近郊と新潟港の上知を断行。これに反対する土井利位、老中を罷免。

6/13 真田信濃守幸貫(松平定信実子)、老中就任。佐久間象山、顧問として招かれ、『海防八策』を献じる。

42年

4/08 蝦夷地、箱舘奉行の管轄になる。箱舘、和親条約により開港。

9/08 脇坂中務大輔、老中を罷免。後任として阿部伊勢守正弘、老中に任じられる(11日)。

43年

6/13 箱舘奉行、アイヌ人の同化を奨励。

8/10 外国貿易取調掛設置。

閏9/13日 水野忠邦、登城途中に井伊家の脱藩浪士の襲撃を受け負傷。一時休職。(坂下門外の変)堀田備中、老中首座を代行。水野の代行として牧野備前が老中に(11/03)。

 井伊直亮、責任を取って隠居。世嗣直元が家督を相続。直亮の実弟・直弼、井伊家世嗣として将軍にお目見え。

44年

6/21 水野忠邦再出仕(〜45.2/22)。これに先立ち、真田信濃、職を解かれる(5/22)。

 佐久間も野に下って、私塾を開講。

7月 オランダ、英国と同等の条約を要求。日蘭和親条約が結ばれる。

9月 フランスとの和親条約交渉開始。

 フランス、琉球との通商を要求。琉球政府はひとまずこれを拒絶。島津家、老中阿部に諮問。阿部は布教の禁止を前提に、通商の黙認を示唆。

45年

2/22 忠邦老中辞職。阿部正弘、老中首座に。忠邦の後任として戸田山城(3/18)。

3/07 洋学所、蛮書調所と改称。

6月 英船サマラング号、江戸湾を測量。シーボルトの持ち帰った地図の正確さに驚嘆。

7月 老中阿部正弘、海防掛を設ける。幕府海軍創設の端緒。

9/10 長崎に海軍伝習所開設。

9月 水野忠邦世嗣・忠精、五万石に減封の上家督相続。11月には出羽山形へ転封。

11/24 琉球、フランスと和親条約。

 高野長英、「三兵答古知幾(タクチーキ)」を翻訳。

46年

4月 英国人ベッテルハイム、品川に逗留。通商条約の交渉開始。

閏5月 米東インド艦隊司令官ビットル、通商を求め浦賀に来航。

6月 フランスも公使を派遣。

 井伊直元死亡。世嗣直弼、井伊家を相続。

47年

 老中・堀田備前、条約の勅許を得るために上洛。

48年

4/23 井伊直弼が大老に就任する。

5月 琉球、尚育王の第二子尚泰が即位。

6月 日英通商修好条約締結。

6/24 斉昭が突然登城し、条約調印に関して井伊直弼に直断判する。

7/05 斉昭が、無断登城により謹慎処分となる。

50年

3/03 井伊直弼が、江戸城桜田門外で水戸浪士に暗殺される(桜田門外の変)。

53年

06/22 12代将軍家慶、没。61歳

10/14 慶昌、将軍職就任を固辞し、大政奉還を上奏。翌日勅許される。

12/09 朝廷が王政復古の大号令を出す。

54年

9/03 江戸を東京と改称。

10/23 明治改元。

 英国の使節団来日。攘夷派の狼藉に遭い団員の一人、ローレンス=オリファント氏が負傷。

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