学術的考証(改題02/12/01)
§1 進化論
調べれば調べるほど、進化論がヴィクトリア朝時代の風潮から生まれた事が窺い知れる。その概念は単に人の先祖が猿であったと言う事に留まらない。つまり人類は過去から未来に向かって良くなっていくと言う思想がその根底にある。
それまでの思想は逆であった。ギリシア神話では金の時代、銀の時代、青銅の時代、そして現在の人類につながる鉄の時代と、次第に悪くなっている。キリスト教においても、失楽園の概念から、過去を理想化する傾向がある。同様な思想は東洋にも存在し、儒教の理想は神話的な過去の帝王の時代である。また、仏教の末法思想もキリスト教の終末思想に近い。唯一例外と思われるのがイスラーム世界で、ムハンマドが啓示を受ける以前を無明時代と呼んで現世を肯定する立場にある。未来が良くなると言う事は過去を悪と見なし否定する事に他ならない。これは過去を徒に美化して郷愁を煽るのと同様に非常にバランスが悪い思想だと個人的には思うのだが。
問題なのは人を含む生物について論ずるダーウィンの進化論と、社会進化論が相互に関連付けられて語られる事である。悪名高きナチスの優生論もこの時代に萌芽を見る。またマルクス=エンゲルスのうち立てた共産主義思想もこの進化論的発想が根底にある。
史実と作中の仮想世界がこの点でどう違うか、実は余り明確でない。ハッキリ分かるのは「種の起源」の発表年代がやや早まっていると言う事(史実では59年だが、作中の55年には既に一般に広まっている)である。年表ではダーウィンが手稿を書き上げたとされる44年を一応の発表年代と規定した。史実では進化論のもう一人の立役者ウォレスが58年にダーウィンに宛てて論文を送った事から、二人の草稿が合わせてリンネ協会で発表されている。なおウォレスは作中に登場しないが、この時期は東インドで研究中の筈である。
§2 お茶と阿片
そもそも、1840年のアヘン戦争を日本への遠征に振り替えたのは、日本の開国および王政復古のスケジュール上からでした。というわけで、アヘン戦争が起きた原因についてはこれまでのところ触れてきませんでした。
アヘン戦争というのは中国茶を輸入するために必要であった大量の銀を賄うためでした。イギリスには清国に輸入するような貿易品がなかったのです。そこで東インド会社が目をつけたのがインドの阿片です。阿片貿易はそもそもイギリス人が考えついた物ではなかったのです。しかし、イギリス人は専売権を手に入れるや大量生産を開始しました。そのため、1820年代には中国史上初めて銀が国外へ流出すると言う事態に陥りました。阿片の害はそれとして、清国を崩壊させたのはこの輸入超過による経済破綻であったと言えましょう。
ここからが改変ですが、まず中国茶の輸入量を減らします。代替えとしての第一候補はインド茶。次いで日本茶です。と言う訳で、史実では捕鯨船の補給地を求めたアメリカによって開国を迫られた日本は、DE世界では日本茶を求めるイギリスによって開国へと導かれたのでした。
細かい展開については年表を見てください。年表には記載しませんが、将軍に成らなかった慶喜は万博に代表として赴き、帰国後幕臣たちの新たな仕事として静岡で茶の栽培を奨励することになります。よって静岡茶は緑茶でなく紅茶が主力に成る。
§3 バベッジとその周辺
バベッジの階差機関はいつ頃完成したのか?参考資料(「バベッジのコンピュータ」 新戸雅章著)を元に検討した。
作中より、バベッジが30年の総選挙に立候補している事が解る。階差機関の第1号はやはりこれ以前に完成しているべきであろう。なお、史実で彼が立候補した(当選はしていない)のは選挙法改正直後の33年であるらしい。
階差機関完成の最大要件は政府よりの開発資金援助であるが、その為には王立協会のバックアップが不可欠である。よって、会長には彼の友人であるJ・ハーシェルに就いて貰う。史実では30年の会長選挙で敗れているが、その前の27年の交代時にも登場機会はあった。だがこの時はバベッジが妻を亡くした直後で大陸への傷心旅行中であった。この旅行が機関の完成日程にも大きく影響しているのだが、この妻の死も変更した。
バイロンの娘エイダとの出会いは33年。史実では勿論父親の方は死んでいる。この出会いを経て、バベッジは既に完成していた階差機関の発展型としての解析機関を構想する事になる。
3−1 ブルネルと「軌間戦争」
鉄道熱に浮かされた30年代のイギリスでは、鉄道の軌間標準を巡ってスティーブンソンとブルネルが激しく争っていた。史実ではスティーブンソンの狭軌派が勝利を収めたのだが、作中ではブルネルの政治的立場が強い(バイロンの後を継いで後継首相に指名されている)事から、広軌派が勝利を収めたモノと思われる。
狭軌の方がコストが安く、路線長で優越していたのだから、この後の改装工事の為に鉄鋼業はフル稼働したであろう。
3−2 海王星の発見と小惑星 (11/11/14追補・改稿)
45年10月、イギリスのジョン・アダムスが天王星の外側に未知の惑星の存在を予言する計算結果をグリニッジ天文台に送っている。しかし、当時の天文官の怠慢から、これが放置され、その結果翌年になってフランス人によってこの新惑星(すなわち海王星)が発見される。
バベッジの計算機が存在するこの世界ではこの予言自体が速くに登場する可能性もある。ジョン・クーチ・アダムスが予想軌道を予言したのは43年なので、これを採用するだけでも史実より三年早く発見されることになる。バベッジの友人で王立協会の会長となっている小ハーシェルによってこの予言が取り上げられるなら、ハーシェルは親子で新惑星の発見者となる栄誉を得る。小ハーシェルの父、大ハーシェルは天王星の発見者なのである。
天王星の発見はティティウス・ボーデの法則(太陽と各惑星の距離が簡単な数列で表せるというもの)を実証することとなった。つまり新発見の天王星がこの数列を満たす位置に存在したのである。但し、この法則には火星と木星の間に飛びが有った。そこでその空隙を埋めるべく観測が行われそこにケレスが発見された。
しかしこの位置にあるのはケレスのみでなく、いくつもの天体が発見されて今では小惑星帯=アステロイドベルトと呼ばれているが、海王星が発見されるまでに同じ起動を描く五つの天体が発見され、それらは惑星に数えられていた。(つまり海王星は発見当時には十三番目の惑星とされていた。)
この状況に対して惑星の定義を見直す意見も有り、特に大ハーシェルはこれらの天体に小惑星=アステロイドという呼び名を提案している。小ハーシェルが親子二代での惑星発見者と成れば、この小惑星の概念も早くに定着するだろう。
ちなみに五番目の小惑星アストラエアはドイツのカール・ヘンケによって海王星より一年先に発見されているが、この順番は逆になる。アストラエアは発見当初から”小惑星”として認知される最初の天体と言うことになる。
蛇足だが、最初の小惑星ケレスは現在では冥王星と同じ(アステロイドベルトでは唯一の)準惑星に分類されている。
§4 産業革命と労働運動(09/01/26改訂増補)
4−1 労働運動と二大政党
年表には既に入っているが、労働運動の嚆矢であるラッダイト運動とチャーティスト運動を用語として登録した。
史実では48年にフランスにおいて狭義の普通選挙(男子限定)が実現するのだが、ナポレオン三世の登場を早めるために前倒しされている。一方、産業急進党政権のブリテンでの普通選挙は望み薄である。
ホイッグ党は急進派が主導権を握って産業急進党を立ち上げているが、トーリー党はウェリントンと運命を共にしている。だが一部の残党が(史実で)穀物法を廃止したピールを中心に再結集したモノとする。党名は、初めは”保守党”にする積もりだったが、彼は自由貿易の信奉者で保守党主流の思想と合わないので”自由党”とする。(実際に、ピールは保守党と袂を分かって自由党に合流した)
4−2 奴隷制廃止問題
奴隷とは突き詰めれば、安価で労働時間制限のない労働力である。奴隷廃止運動が産業革命期の労働運動と並行して発生したのは有る意味で必然と言える。奴隷制労働力に頼っていては、工業化は進まない。その意味で、奴隷廃止運動は人道的な側面と共に経済的な側面を併せ持つ。
作中で奴隷制に絡む国と言えば南部連合とリベリア帝国がある。前者は買い手として、後者は売り手として。おそらくは英仏協商による奴隷貿易撤廃圧力(と資本投下)が両国の産業構造を大きく変えたのだろう。
§5 医療事情
作中でナイチンゲールの名に言及されていますが、当時の医療水準はどの程度だったのか検証します。
5−1 看護学と公衆衛生(09/12/26新項)
史実では近代看護の概念がナイチンゲール女史によって確立されたが、果たしてDE世界ではどうなっているか。と言うのも、この世界では軍事碩学が操る砲術機関による集中砲撃システムが存在し極端な火力偏重型の戦争が行われており、れでは看護師の出る幕はなさそうである。取りあえず看護師の代名詞とは成っているようだが。
火砲偏重による短期決戦が確立していると言う事は戦場における衛生問題も顕在化していない可能性もある。逆に砲術機関による火事嵐によってもたらされる酸欠に関しての検証が進んでいるかも知れない。
5−2 ミアスマ説とコンタギオン説
疫病の原因として、古くからミアスマ(瘴気)説とコンタギオン(接触伝染)説があった。19世紀初頭には前者が優勢であったが、細菌学におけるパストゥールとコッホの発見はこのバランス一気に後者へ傾ける事となる。
両者のバランスが微妙な時期にハンガリー人医師ゼンメルワイスが殺菌法を提唱した。彼は産科の状況を検証し塩素水による消毒を主張し、産褥熱による死亡率にかなりの改善を見たのであるが、ミアスマ説に立つ医師達には受け入れられなかった。彼の説が受け入れられなかった最大の理由は「患者を殺していたのは医師の手である」と言う事実にあった。
ウィーンでは受け入れられなかったゼンメルワイスだが、産業急進党の支配するブリテンなら彼を受け入れる余地が有るのではないか。実際にイギリスの医師ジョゼフ・リスターが彼の論文を典拠として消毒法を開発している。
5−3 外科学の発達
同朋人に撃たれたヒューストンが助かって(恐らく予定通りに)パリへの汽船に乗っている事から見て、外科技術はそれなりのレベルにあると思われる。
恐ろしい事だが、西洋医学は(東洋医学に比べて)解剖学が発達していたのに、消毒の概念がなかった。これは西洋思想の下敷きとなっているキリスト教が肉体を重視しない(罪の根源とする)教義を持っていた事によるらしい。甚だしくは、風呂にも滅多に入らないと言う状況をもたらし、結果として匂い消しの為に香水が発達すると言う事態に至るのであるが。その為に麻酔法が誕生して外科手術が盛んになったとき、体内まで雑菌を押し込む事となり、「手術は成功、患者は死亡」という事態を招いたという。
5−4 電気けいれん療法
産業急進党政権下のブリテンは実用・結果重視である。オリファント氏がはまっている電磁気治療も20世紀に入ってから精神疾患に対して用いられたモノで、SF的にはオーバーテクノロジー(未来医療)と考えられる。オリファントに関しては成功したか否かは微妙だが。