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汎世界論Ⅱ 歴史と時間軸の改変
§0 親殺しのパラドックス
親殺しのパラドックスとは、自分が生まれる以前に遡って親を殺したらどうなるかと言う命題である。論理的な解決法としては、1)不可能、2)即座に自分が消える、と言う二通りが考えられる。しかし汎世界理論では、3)親が殺された世界と殺されなかった世界の二通りに分裂する、と言う別解を提示する。厳密に言えば、過去に現れた時点でその世界は自分自身の過去とは切り離されるのである。よって過去の自分自身と会っても何ら問題は生じない。その時点から別の時系列世界が発生するのみである。そこから歴史の結果は必然であるか否か、また歴史は外部からの干渉により変化しうるかと言う命題にも結論が出せる。
§1 歴史の必然性と可変性
歴史というのは過去の蓄積に対して価値判断を交えて構築する物であって、その時代を生きる人々にとっては何ら必然を持たない。
第一法則 歴史は偶然の積み重ねであり、外部操作により変化しうる。
これと矛盾するようであるが、歴史は元に戻ろうとする弾力性・可塑性を有する。この原因は全て観察者の心理的条件によって起こる。なぜならばその時代に生きる者にとっては歴史は未来の不確定な物であるのに対し、未来からの旅行者(干渉者)にとっては過去の事実である。つまり非常に皮肉な結論であるが、時間旅行者による歴史改変が成功しないのは、旅行者の記憶(思いこみ)が歴史に可塑性を与えるからで有る。言い換えると、時間旅行者は自分の記憶と異なる歴史を体験出来ない、と言う事を意味する。
第二法則 歴史改変の結果は干渉者本人には観測出来ない。
要するに、歴史が変化しないのではなく、干渉者の思いこみが別の事実を許容出来ないだけなのである。歴史が必然であるという思いこみを捨て去る事が出来れば、あるいは史実を否定する明確な意志を持って望むならば、歴史は変化しうる。しかし干渉は歴史的事象を変化させるのみで、結果までを左右するには豊富な知識と強固な意志が必要であろう。
実際に歴史改変に成功した者はどうなるのか。歴史的事実が変化すれば別の時間軸線上に移動するため、元居た歴史世界には戻れない。これは歴史の一部である自己の否定であり、広義の親殺しのパラドクスを誘発する。
第三法則 歴史改変に成功した者はその自己否定に等しい行為の代償として、歴史世界から消滅する。
干渉者による改変行為は元の歴史世界には何ら影響を及ぼさない。つまり元通りの歴史と改変された世界が併立して存在する事になる。そして通常の人間はこの異なる時間線を同時に観察する事が出来ない。しかしながら、この時空移動に耐える事が出来たごく少数の人間は、歴史的因果律から解放され時空漂流者(ディメンジョン・ドリフター)と呼称される存在に変化する。彼らは三次元の枠を超越した言うなれば四次元生命体となる。
時空漂流者は時間軸を移動・感知出来るため、成長も老化も存在せず、通常の意味での死から解放される。彼らが持ち運び出来るのは、基本的には知識のみで有る。彼らの持ち物は時空転移の際の反動(変化の風と呼ばれる)でその世界に見合った物へと換装(リロード)される。
§2 内挿法と外挿法
内挿法と外挿法とは統計学の用語である。内挿法とは簡単に言えば計測データの内側の隙間を埋める手法で、外挿法とは計測データの外部を予測する手法である。数学的にはデータが平面上の単純な曲線を描くなら正確な三点の正確な計測データが出れば正確なグラフが描ける理屈であるが、此処で取り上げるのは歴史的事象であるから変数が二つでは済まないし、またその描く曲線が単純増加や単純減少である筈もない。統計学的な歴史改変作業は膨大な情報量を必要とする上に正確性に乏しい。わずかな初期値の誤差が結果を大きく狂わせてしまうからである。これを気象学用語でバタフライ効果という。
内挿法的歴史改変とは目標とする状態を想定し、そこに至るために過去の事象に遡って幾つかの変更を加える手法を意味する。これは架空戦記物にありがちな予定調和を意味しない。歴史的事象に手を加えた結果が史実と同じではつまらない。史実より良くなるに越した事はないが、たとえ悪くなったとしても問題点が明確になるならそれなりに価値を見いだせる。特定の勢力に肩入れして勝利条件を探るのは興味深い作業であるが、結果が史実より悪くなる可能性もある。よくあるのが前大戦で日本が勝っていたらと言う物だが、その場合にはやはり勝ち方が問題になる。日独枢軸が勝った後に、日本とドイツの対立する冷戦構造になるのではどうしようもない。
もう一方の外挿法的歴史改変とは、ある段階の条件を検証してその先を予測すると言う事になる。一番わかりやすいのは現在を基点にして未来を予測するケースである。こちらは、あえて前者との違いを強調するなら、未来戦記物と呼べるであろう。無論過去のある段階に置いて別の事象が発生した場合にどうなるかという検証も外挿法の一種と言えるのだが、これだと史実という比較対照に引きずられて客観性が維持しにくいと思われる。つまり前章で述べたような歴史の可塑性が生じるのである。