汎世界論T 法と混沌の原理学

§0 汎世界のイメージ

 ARTSは汎用RPGとして企図されたので、その背景世界も汎用世界として構築された。現状ではシステムより世界構築の方に主眼が移ってしまったが。

 法によって維持される世界が、混沌の海に孤島のように漂っていると言うイメージを思い描いて戴きたい。この混沌の海を渡る事の出来る能力者を海渡り=ディメンジョン・ドリフターズ(DDと略す)と呼びます。

§1 混沌と魔法 01/01/25旧稿

 ARTS世界を決定付ける二大要素が”法”であり”混沌”です。ありがちな二大論ではありますが、ARTS世界では、これらに人格的存在を想定しません。法と混沌は現象として均衡を保とうとしますが、意図的に勢力の拡大を謀ったりはしません。

 世界は混沌に覆われて、その中に法の支配する領域が島のように点在する、と言うのがARTS汎世界のイメージになります。此の混沌の海は、通常の方法では行き来できません。これを渡ることの出来る者が(以前少し触れた)D・D達なのです。

 法に属するテクノロジーは世界間の往来により変質してしまいます(此の話は次回に)が、混沌に由来する魔法の力は本人の資質のみで規定され世界の状況にほとんど左右されません。世界によっては”魔法”とは呼ばれず、”超能力”として認識されるかも知れませんが。

 験力は本人の資質のみに依存するので全く問題がありません。魔力は魔法源(マナソース)との接触効率が多少影響を受けますが、異世界でもさほど問題なく働きます。しかし妖力は元々混沌属性が強すぎて、法の反作用がきつく異世界での生存その物が困難です。魔性体は元々PCに出来ませんので問題はありませんが。最も問題となるのが法力の使い手です。法力を支える神々の力は世界によってやや複雑な制限を受けるのです。

 神々の力は周囲にいる信者の信仰心によって増減しますから、世界を渡った後はまず布教活動に勤しまなければ成らないでしょう。信仰の全くない世界というのも珍しいですから、その世界の既存宗教と習合して弘めるのが有効です。一神教であるはずのキリスト教ですら、ゲルマンの土着信仰を駆逐しつつも取り込んで居ましたし、また日本での布教に際してもデウスを大日如来と同一化して弘めていまいしたし。(キリスト教がユダヤ教やイスラムとやや異質なのは此の習合過程の所為でしょう)

§2 法とテクノロジー 01/02/09旧稿

 さて繰り返す様ですが混沌が絶対悪で無い様に、法も絶対正義の概念ではありません。法はどんな事柄でも論理的に説明しようと言うただそれだけの目的を抱いています。そして特定の人格神を持ちません。人格を当てはめる限り”法の神”は不完全に成らざるを得ないのです。従って混沌と同様に法の神もまた有る意味非人道的なのです。

 法は魔法ですら説明を付けようとします。しかし法の理念に裏打ちされたとき、それは既に魔法ではなくなります。法は理論付けと言う攻撃方法で混沌を駆逐していくのです。法化された魔法の一つがいわゆる超能力と呼ばれる物です。これはまだ何らかの説明には成っていないのですが、名前を付けるという行為が理論付けの第一歩なのだとも言えます。

 法は本来混沌に属する人間の空想力を具現化することで、物質界に力を及ぼします。その様な法と混沌の争いは何ら破壊をもたらしません。すべてはただ変化し流転して行くのみです。ARTS世界に置いて最初に此の二勢力の抗争に着目したのが悟仙=バッドゥバールでした。こちらの世界では釈迦に相当する人物です。インドで生まれた第五元素”空”の概念に対して彼は色即是空の理念をうち立てました。それまでエントロピーを象徴する空軸はその正の方向を巡って議論の対象となっていました。これは同時に二つの神族の争いになっていたのですが、悟仙はこれを二つの軸に分離してしまいました。エントロピーの増大を正とするのが空軸、そして逆に負とするのが識軸とされました。此の概念は当方華内の地で習合を起こし、広くその文化圏へと広まりました。これは有る意味で東西の魔法文化圏の分岐点とも成りました。悟仙の二軸論、六大論は西方では全く受け入れられなかったのです。

 多次元世界SFで良く話題になるのが、世界を転移したとき文明の利器は使用できるのかと言う問題です。前に紹介したヴァグランツでは未来世界のレーザー拳銃は、ファンタジー世界への転移の際、火薬式の拳銃へと変化していました。銃器の全くない世界ではこれは未知の魔法として理解されていました。

 一方此の手のRPGの代表(と言うか、私がこれしか知らないだけ)TORGでは世界の移動と共にその世界に無い物は機能しなくなると言うシステムを採用していました。但し、ストームナイトと呼ばれるPCはリアリティストーム(これがストームナイトの名の由来)を起こしてこれを機能させることが出来ます。要するにその場のリアリティを変化させてしまう能力を意味するのです。

 此の手の代表的な小説がハロルド・シェイでしょう。その世界にない物は全く機能せず、また文字も変化してしまう。その替わりにその世界の理念に沿った魔法が使えるようになるのです。

 基本的に混沌が優越するARTS世界ではこの様な厳密さは有りません。世界で受け入れられない程高度なテクノロジーでも機能は使えます。但し支配区分が法から混沌へと移ってしまうので、狙い通りの正確な効果が生じなくなるのです。これがオーバーテクノロジー装備(OTE)の宿命です。此の不具合をなくす為には此の世界にこれを説明する新たな理論を根付かせなくては成りません。あなたはTVやパソコンがどんな原理で動いているか人に説明できますか。それが出来ないと、これが無い世界へとこれら分ピンを持っていったときに機能しないのです。まあTVなんかは機能が使えても放送局がなければ無意味でしょうが。

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