鳳凰サイクル

 朝鮮側の首魁は友景サイクルと同じ光海君、にも関わらず設定が異なる別次元。

 「十兵衛両断」及びその続編「剣法正宗遡源」では疋田景兼が朝鮮で臨海君に剣を教えたと言う設定が共通。その遺臣である「独立党」の朝鮮柳生は「鳳凰の黙示録」に書かれる光海君の時代には形を潜めていたので並存が可能。

 短編集「サラン」については同一時空として一括して処理する。(と言うかそうしないと情報が少なすぎる)「魔界転生」へのオマージュである「サラン」が他のサイクルに抵触するので消去法でここに編入する。

天正10(1582)年

 本能寺の変。

 光秀の娘、毛利家を頼る途中流されて朝鮮に漂着。愛蓮と名乗り申恪の愛妾となる。(「耳塚賦」)

天正15年

 秀吉、キリシタン禁教令を出す。

天正17(1589)年

 鄭汝立、秀吉との連携を暴かれて反逆罪の咎を受け自殺。(「鳳凰の黙示録」)

天正20/文禄元(1592)年

3月 文禄の役

 雑賀衆太田孫二郎、朝鮮軍に投降。沙也可と呼ばれる。(「何処か是れ他郷」)

 臨海君、加藤清正に捕らえられる。陣中にあった疋田景兼、臨海君に剣を教える。(「鳳凰の黙示録」「十兵衛両断」)

 臨海君、琴七剣の紅蓮との間に娘碧蓮をもうける。(「鳳凰の黙示録」)

 朝鮮の娘たあ、小西家家臣三木輝景に救われて日本に渡る。(サラン)

文禄5/慶長元(1596)年

 たあ、洗礼を受ける。(サラン)

慶長2(1597)年

 姜、藤堂高虎に捕らえられ日本へ送られる。高虎の領国伊予に幽閉。

慶長3(1598)年

 秀吉死去。慶長の役終結。

 姜、伏見に移され藤原惺窩と交流し影響を与える。

 沙也可、金忠善の名と寒村を与えられる。粉河新左衛門(朝鮮名徐牙之)、これに同調せず去る。(「何処か是れ他郷」)

慶長5(1600)年

4月 姜帰国。再出仕せず日本での見聞を「看羊録」に纏める。

9月 関ヶ原の合戦。輝景戦死。(サラン)

 ジュリアおたあ、家康に召されて伏見に入る。(サラン)

慶長12(1607)年

 第一回朝鮮通信使。(正しくは国書の交換と被虜刷還を目的とした回答兼刷還使)

慶長14(1609)14年

 光海君、兄臨海君を殺害。紅蓮、刺客として送り込まれる。臨海君、愛刀を娘碧蓮に託す。(「鳳凰の黙示録」)

 臨海君の弟子「独立党」、遺命に背いて光海君に協力せず。(「十兵衛両断」)

12月 ノッサ・セニョーラ・ダ・グラッサ号事件。

慶長16年

末 岡本大八事件。

慶長17年

3月 キリシタン禁教令。天領の江戸・京都・長崎・駿府及び有馬領における教会の破壊と布教禁止。ジュリアおたあは大島に遠島となる。(サラン)

慶長19(1614)年

 光海君、異母弟・永昌大君を「蒸殺」する。琴七剣、永昌大君を救い出す。(「鳳凰の黙示録」)

 一人生き残った碧蓮、永昌大君を連れて逃走中に宿敵・鴻一洪(和名薄田隼人正)と出会い日本へ遁れる。永昌大君、暗殺された秀頼の子国松の身代わりとなる。(「鳳凰の黙示録」)

慶長20/元和元(1615)年

 大坂夏の陣。豊臣家滅亡。碧蓮と隼人正、永昌大君と鳳凰の卵を薩摩へ送り届ける。(「鳳凰の黙示録」)

元和3(1617)年

 第二回朝鮮通信使。(第二次回答兼刷還使)

元和7年

 おたあ、息子を出産。四郎(朝鮮読みでサラン)と名づけられる。(サラン)

元和9(1623)年

 家光、将軍となる。

 仁祖反正。独立党活動を開始。(「十兵衛両断」)

元和10/寛永元(1624)年

 朝鮮で李适の反乱。

2月 寛永改元

 李适に組した新左衛門、忠善と再会。自害を望むが忠善の息子慶元の指示で銃殺される。(「何処か是れ他郷」)

寛永3(1626)年

 十兵衛、韓人に体を奪われる。(「十兵衛両断」)

寛永4(1627)年

 丁卯胡乱。独立党、活動を一時休止。(「十兵衛両断」)

8月 後金軍の撤退とともに独立党が活動を再開。(「十兵衛両断」)

10月 十兵衛、柳生邸から出奔(逃走)。(「十兵衛両断」)

12月 十兵衛、鍋島分家小城城下で目撃される。(「十兵衛両断」)

寛永5(1628)年

12月 十兵衛、絶望して肥前名護屋にて切腹。筧柴風庵(山田浮月斎)に救われる。(「十兵衛両断」)

 柳三厳、光海君との接触を目指す独立党の剣士を討つ。(「十兵衛両断」)

寛永6(1629)年

2月 十兵衛、回復。修行を開始。(「十兵衛両断」)

 柳三厳、独立党の殲滅を完遂。(「十兵衛両断」)

寛永7(1630)年

 柳三厳、武芸別監を創設。密かに「柳生武芸庁」と称する。三厳、柳十衛と名乗る。(「十兵衛両断」)

寛永13(1636)年

4月 後金、国号を清と改める。

8月 柳生但馬守、大名に列せられる。

12月 大清帝国、朝鮮に再征(丙子胡乱)。

寛永14(1637)年

1月 朝鮮王、大清皇帝に臣従。

5月 復活を果たした十兵衛、朝鮮に渡る。入れ替わりで柳十衛、朝鮮に絶望して日本へ渡る。(「十兵衛両断」)

 小城から博多へ向かう途上、身体を奪われた僧侶慶念を救う。(「韓流夢譚」)

 柳十衛の出奔により武芸別監が解体される。(「密書「しのぶもじずり」」)

 但馬守、十衛を息子として受け入れる。これに反対した友矩、十衛に斬られる。(「十兵衛両断」)

 十兵衛と十衛、家光の御前にて試合う。(「十兵衛両断」)

 十衛を斬った十兵衛、沢庵を小城にいる慶念の元へ送る。(「韓流夢譚」)

寛永15年

 石舟斎宗厳の菩提を弔うため、但馬守の開基沢庵宗彭の開山により芳徳寺が創建される。

寛永16年

6月6日 柳生友矩没。(史実)

寛永19(1642)年

 忠善、息子慶元の書いた彼の回顧録を読む。その内容に愕然とした彼は十字腹を切って果てる。(「何処か是れ他郷」)

寛永20年

秋 慶念、自らの身体を取り戻して入滅。十兵衛、改竄された「朝鮮日々記」以外の慶念の筆になる文書をすべて処分する。(「韓流夢譚」)

正保2年

5月17日 宮本武蔵没。死を装って朝鮮の招聘に応じる。(「「密書」しのぶもじずり」)

正保3年

三月 但馬守没。その所領は長男十兵衛に八千三百石、三男宗冬に四千石と分割相続。芳徳寺領として二百石が分与。

 十兵衛、弟宗冬に己の肉体の秘密を明かし柳生家の相続を放棄、朝鮮柳生「柳生武芸庁」打倒のため芳徳寺衆を創設する。(「剣法正宗遡源」)

5月17日 武蔵、松島で佐々木小四郎忠政と戦い敗れる。(「「密書」しのぶもじずり」)

 朝鮮に渡った十兵衛、三厳の息子柳四厳に剣を仕込む。(「剣法正宗遡源」)

慶安3年

3月 柳生十兵衛死す。実は柳四厳と体を入れ替えてこれを身代わりとした。(「剣法正宗遡源」)

慶安4年

4月20日 将軍家光没

8月18日 家綱が将軍に就任。

承応3年

 鍋島元茂死去。

承応4/明暦元年

 朝鮮通信使来朝。韓使、日本の剣術は朝鮮起源であると主張。宗冬、朝鮮剣士が十兵衛の太刀筋を受け継いでいることを知り、甥(世間的には弟だが友矩の息子)六丸に指令を放つ。(「剣法正宗遡源」)

 芳徳寺衆の当主六丸、朝鮮の偽装計画を事前に防ぐ。敵の中に伯父十兵衛に良く似た剣士を見る。(「剣法正宗遡源」)

明暦2年

2月 十兵衛の現地協力者金鐘鳳が宗冬を訪問。(「剣法正宗遡源」)

3月 法徳寺衆、朝鮮に渡る。六丸、柳四厳の体をもった十兵衛を斬る。(「剣法正宗遡源」)

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