友景サイクル年表
友景未登場の「魔風海峡」と死後の「竹島御免状」を含む。
「魔風海峡」には「陰陽師・坂崎出羽守」でも書かれた朝鮮における宇喜田陣の怪異が登場しており、同一時空と推定される。(「魔風」からスピンオフしたのが「坂崎」と思われる)
「友を選ばば」における反キリシタン史観は「黙示録」にも通じる。
「竹島」の中で過去の事件として触れられている他人の先行作品は青字で補足しました。
512年?
于山国、新羅に併合される。(「三国史記」)于山国の有志、日本に渡り豊前宇佐を拠点として祖国復興運動を起こす。(「竹島御免状」)
562(あるいは560)年
任那、新羅に滅ぼされる。
571年
欽明天皇崩御。遺命により任那に黄金が埋められる。(「魔風海峡」)
602年
聖徳太子の弟・来目皇子、新羅追討を命じられるが行軍の途上に筑紫にて没。
660年
百済・義慈王、断脈の術により新羅を滅ぼさんとするも、新羅王の罠にはまり百済の始祖王に術を仕掛けて自滅する。(「柳生百合剣」)
663年
白村江の戦い。
百済の復活を目指す皇族・貴族の結社・百済寮が創設される。(「柳生百合剣」)
天智天皇七(668)年
道行、草薙剣を盗んで新羅に渡ろうとするが遭難して舞い戻る。実は草薙剣とは八岐大蛇の卵で新羅に持ち込まれていた。(「八岐大蛇の大逆襲」)
天平勝宝元(749)年
藤原仲麻呂、大納言に昇進、併せて紫微令・中衛大将兼任。百済頭となり百済再興を目指す。(「柳生百合剣」)
天平宝字二(758)年
仲麻呂、右大臣相当の太保に転任。鎮国衛(中衛府より改称)大尉を兼帯する。藤原恵美朝臣姓を賜与、名を押勝と改める。
天平宝字七(763)年
道鏡、孝謙上皇の寵を受け少僧都に任じられる。
天平宝字八(764)年
恵美押勝、解免官位。乱を起こすが敗北。天皇も廃位される。(淡路廃帝。後に明治天皇より淳仁と追号される)表立った百済再興計画の終焉。(「柳生百合剣」)
天応元(781)年
桓武天皇即位。母が百済王の子孫であったことから時の新羅王では戦々恐々と成ったらしい。(「恨流」)が実際には百済寮には興味を示さなかった。(「柳生百合剣」)
大同二(807)年
伊予親王の変。親王は死を装って半島に渡り任那遺金を入手。新羅人張保皐を名乗って水軍を組織して新羅王家の打倒を目指す。(「魔風海峡」)
846年
張保皐暗殺される。(『三国史記』)
貞観八(866)年
応天門の変で伴善男失脚。大伴氏の没落により百済寮が消滅。(「柳生百合剣」)
文永十一(1274)年
文永の役。
1280年
元朝、高麗に征東等処行中書省を設置する。
弘安四(1281)年
弘安の役。征東等処行中書省解散。
弘安八(1285)年
北条時宗未亡人覚山尼、鎌倉に東慶寺を建立。(本来真言宗の寺であったものを覚山尼が臨済宗に改宗したという別伝もある)
1287年
征東等処行中書省再設置。日本への侵攻目的と言うよりも高麗を統治するための機関となる。
天正二十/文禄元年
1月 茶阿局、家康の六男辰千代(後の忠輝)を出産。
4月 日本軍釜山に上陸。
日本于山党党首、小西軍に加わって朝鮮に渡り降倭となって朝鮮側の于山残党を糾合して朝鮮于山党を組織する。(「竹島御免状」)
柳生純厳、降倭となり朝鮮に新陰流を広めようとする。(「太閤呪殺陣」)
5月3日 首都漢城陥落。朝鮮王は平壌へ逃亡。
6月15日 平壌陥落。
7月16日 小西行長、明の援兵を撃退。
宇喜田秀家の従弟左京亮詮家、怪異の犠牲となる。朝鮮の妖術師・鄭玄秀、怪異を退けて左京亮に成り代わる。(「魔風海峡」「陰陽師・坂崎出羽守」)
臨海君、加藤清正に捕らえられる。陣中にあった疋田景兼、臨海君に剣を教える。(「魔風海峡」)
12月8日 文禄に改元。
文禄2年
小野忠明、師一刀斎の推挙で家康に仕える。一刀斎、断脈の術を求めて朝鮮に渡る。(「柳生百合剣」)
日本于山党党首、小西軍に加わって朝鮮に渡り(「竹島御免状」)
文禄5年
朝鮮王、秀吉の呪殺を意図して昭格署(ソギョクソ)の術客・羅儀衛を日本に派遣。護衛の柳生純厳、実父石舟斎に斬られる。崇徳院の恨は何故か発動せず、慶長伏見大地震を引き起こすが目的は達せず。(「太閤呪殺陣」)
慶長5年
宇喜田家の内訌。左京亮詮家も家中を去る。
鄭仁弘、送り込んでいた妖術者を用いて淀の方をすり替える。(「柳生逆風ノ太刀」)
9月15日 関ヶ原の合戦。
小野忠明に男女の双子誕生。男子は早世、女子は典香と名づけられる。(「柳生百合剣」)
柳生但馬守に長女誕生。矩香と名づけられる。(「恨流」「柳生薔薇剣」)
日本于山党党首、帰国。米子に移住し大谷甚吉を名乗る。(「竹島御免状」)
慶長8年
冬 鳥取中村家にて横田内膳が謀殺。その一族、東ノ丸に篭城し叛旗を翻す。内膳の師であった柳生宗章これに助力して討ち死に。
慶長10年
松田織部之丞、息子織部之介を石舟斎に託す。(「柳生薔薇剣」)
慶長11年
石舟斎没。実弟(叔父とも)松吟庵、孫矩香、甥友景の三名がこれを見取る。(「恨流」「柳生薔薇剣」)
慶長12(1607)年
第一次回答兼刷還使。
慶長13年
2月 光海君即位。鄭仁弘を用いて征東行中書省を復活させる。(「恨流」)
友景、崇徳院に召されてその陰陽師となる。朝鮮妖術師の侵入に際して政仁親王の知遇を得る。武寧王陵墓への妖術師の攻撃を撃退する。(「恨流」)
慶長16年
5月 後陽成天皇、第三皇子政仁親王に譲位。
6月 加藤清正没。
慶長19年
光海君、江華島に流されていた異母弟・永昌大君を「蒸殺」する。実は密かに逃されていた。(「八岐大蛇の逆襲」)
慶長20年/元和元年
本物の淀の方、若狭へ流れ着く。(「柳生逆風ノ太刀」)
5月7日 大坂落城。友景、朝鮮妖術師によって崩壊寸前の秀忠本陣に駆けつけて逆風ノ太刀を振るう。(「柳生逆風ノ太刀」)
坂崎出羽守(鄭玄秀)、千姫を業火の中から救い出す。本物の千姫を幽閉し偽者と入れ替える。(「陰陽師・坂崎出羽守」)
秀頼の庶子奈阿姫、千姫の懇願により助命され東慶寺の二十代住持天秀尼となる。
織部之介の素性を知った但馬守、刺客を送る。(「柳生薔薇剣」)
元和2年
4月 将軍秀忠、千姫の再嫁を進める。
6月 姫路城主池田利隆没。長子新太郎光政家督を継ぐ。
9月 友景、出羽守の陰謀を砕く。千姫、桑名城主本多忠政の嫡男忠刻に嫁ぐ。(「陰陽師・坂崎出羽守」)
友景、陰陽頭に任じられる。
この年 老中連署による「竹島御免状」が下される。(「竹島御免状」)
元和3(1617)年
3月 池田光政、幼少を理由に姫路から鳥取に減封国替え。
7月 本多忠政、桑名より姫路へ国替え。嫡男忠刻の妻千姫の化粧代として別に10万石を賜う。
第二次回答兼刷還使。
元和5年
福島正則、広島城の改修を無届で行ったとして改易。後信濃高井郡と越後魚沼郡に4万5千石の捨扶持を与えられる。(家督を継承した忠勝が翌年に無くなったため魚沼郡の2万5千国と返納)
元和8年
友景、柳生宗章の霊から小早川秀秋の裏切りの秘密を知る。純厳の妻杏姫かれ得た情報により朝鮮妖術師を倒す。(「第十一番花信風」)
4月 宇都宮釣天井事件により本多正純が改易となる。実は朝鮮妖術師に憑依されていた。(「八岐大蛇の逆襲」)
生きていた永昌大君、草薙島で母と再会。八岐大蛇の生贄にされるところを友景によって救われる。(「八岐大蛇の逆襲」)
元和9年
1月 友景、長寿王碑を復活させ、朝鮮妖術師の霊的防御網を破壊する。(「妖説・韓柳剣」)
3月 仁祖反正。友景、杏姫の息子真純と戦い深手を負う。(「杏花の誓い、柳花の契り」)
松平忠直隠居を命じられる。幕屋大休、浪人し城下で道場を開く。(「柳生薔薇剣」)
元和10/寛永元(1624)年
1月 朝鮮で李适の反乱。
2月 李适、漢城に入る。傷の癒えた友景、李适と分かれて帰国の途につく。「卯杖記」には書かれていないとあるがおそらく真純の案内で南下したと思われる。(「杏花の誓い、柳花の契り」)
帰国した友景、後水尾天皇に養子友種を紹介する。(「杏花の誓い、柳花の契り」)
4月 結城秀康の次男忠昌、兄忠直の居城北の庄に入府し、福井と改名。忠昌の旧領高田は忠直の嫡男仙千代(後の光長)に与えられる。
7月 福島正則没。遺体の検視前に火葬にしたことが不届きとして福島家は改易。正則の末子正利が三千石の旗本として存続。
10月 第三次回答兼刷還使。
12月 鎌倉東慶寺一件。肥後加藤家家臣貴月主馬の妻うね、生国朝鮮への刷還を拒んで東慶寺に駆け込む。(「柳生薔薇剣」)
東慶寺一件を巡って将軍家光と大御所秀忠の暗闘。(「柳生薔薇剣」)
寛永2年
友景、朝鮮妖術師の追跡中、幕屋大休と遭遇。(「柳生薔薇剣」)
朝鮮妖術師、東慶寺を消失させるが、寺自体の力が術の完全なる発動を阻害。(「柳生薔薇剣」)
矩香、幕屋大休とともに去る。十兵衛、姉を失った哀しみで深刻な欝状態となり柳生の庄へ蟄居。(「柳生薔薇剣」)
寛永4年
一刀斎、朝鮮より帰国。まず服部半蔵の遺骸に断脈の術を仕掛け伊賀者を無力化。(「柳生百合剣」)
春 伊藤一刀斎、小野家を訪ねかつての契約に基づき一刀流の剣士の忠誠を要求する。忠明の長女典香はこれを拒絶するが、長男忠也はこれに従う。(「柳生百合剣」)
9月 一刀斎、柳生石舟斎の遺骸を奪い柳生新陰流に断脈の術を仕掛ける。(「柳生百合剣」)
只一人断脈の術を免れた十兵衛、小野典香と共闘して一刀斎を倒す。(「柳生百合剣」)
寛永7年
河合又五郎、主君池田忠雄の寵臣渡辺源太夫を殺害して逐電。旗本安藤次右衛門にかくまわれる。又五郎の引渡しを求める忠雄と旗本衆との対立に発展する。
寛永8年
徳川忠長改易され高崎へ配流。駿府城の一部が東慶寺に移される。
寛永9年
岡山城主池田忠雄没。死に際して河合又五郎を討つように遺言。嫡男勝五郎(光仲)幼少に付き従兄の鳥取城主池田光政と国替え。
寛永10年
忠長自刃。
寛永11年
荒木又衛門、義弟渡辺数馬に助太刀して河合又五郎を討ち取る。(鍵屋の辻の決闘)
友矩、父の命で柳生の庄へ逼塞。切支丹への傾倒を口にし、兄十兵衛に斬られる。但馬守、切支丹への憎悪を強める。(「柳生黙示録」)
寛永12年
水戸の千代松君(後の水戸光圀)、八重洲河岸に落ちた流星を追って柳生屋敷を訪れる。(「柳生武芸帳」@五味康祐)
寛永13年
8月 柳生但馬守、大名に列せられる。
寛永14年
死を偽装していた高山右近がオランダ船に乗って帰国。(「柳生黙示録」)
島原の乱。
寛永15年
荒木又衛門、鳥取で急死。
寛永16年
6月6日 柳生友矩没。(史実)
寛永18年
3月15日 堀主水、一族郎党を伴って会津を退転。
寛永19年
春 会津七本槍、東慶寺に押し入る。(「柳生忍法帖」@山風)
柳生十兵衛、天樹院より堀家の七人の女を預かる。(「柳生忍法帖」@山風)
寛永20年
5月 会津40万石加藤明成改易。明成の一子明友に石見吉永一万石の名跡相続。
十兵衛、将軍家光を打ち据えて父・但馬守に放逐される。(「魔界転生」@山風)
正保2年
友景没。
正保3年
友景の嫡男友種、陰陽頭となる。隻眼の新陰流剣士で十兵衛と比較されたと言う。(「竹島御免状」)
但馬守没。その所領は長男十兵衛に八千三百石、三男宗冬に四千石と分割相続。
7月 十兵衛、柳生ノ庄に逃げ延びた3人娘を助けて転生衆との戦いを始める。(「魔界転生」@山風)
9月 紀州頼宣、江戸参勤の途上柳生城に入る。先行して伊賀を探索中の荒木又衛門、十兵衛に敗れる。(「魔界転生」@山風)
慶安3年
3月 柳生十兵衛死す。実は死んだのは弟列堂。十兵衛はこれに摩り替わって冽堂を名乗る。(「竹島御免状」)
友景の孫友傳「卯杖記」を書き記す。
天和2年
深尾角馬切腹。
貞享元年
10月 安井算哲(渋川春海)の作成した新暦が「貞享暦」として採用される。
12月 算哲、幕府の初代天文方(以後世襲)となる。
貞享2年
幸徳井友信、陰陽助及び暦博士を辞す。弟友親が陰陽助となる。友信、柳生の庄で列堂の孫娘典矩と出会い駆け落ちする。(「竹島御免状」)
元禄3年
水戸光圀、兄頼重の子綱条に水戸家を継がせる。
元禄8年
竹島一件。将軍綱吉、竹島(現在の鬱陵島)を朝鮮国領と認め、日本人の渡海を禁止する。替わりに松島と呼ばれていた島を竹島と改名。
元禄10年
朝鮮妖術師竹島を経由して日本に侵入。友景の曾孫友信、これを感知して冽堂に応援を乞う。(「竹島御免状」)
冽堂、柳生の庄に侵入した三剣士の一人に荒木又衛門を見る。(「竹島御免状」)
冽堂と友信、鳥取へ向かい朝鮮妖術師の謀略と戦う。諸国漫遊中の水戸黄門一行、これに協力する。(「竹島御免状」)
朝鮮妖術師、冽堂と友信の追撃に敗れる。亡くなるに際し竹島を巡って日朝が争うように呪いを掛ける。(「竹島御免状」)
元禄15年
幸徳井友親の一子保篤生まれる。一説に兄友信の子と伝わる。(「竹島御免状」)
十兵衛、冽堂として死す。享年96歳。(「竹島御免状」)