顎十郎捕物時系列リスト
年代推定の論拠を附す。
?については年代特定のデータが無いので暫定的な位置。
「都筑版・新顎十郎捕物帳」 13編を追加。
「捨て公方」 弘化元年
将軍家慶の双子の弟を利用した水野越前守(忠邦)の復権。顎十郎の活躍により再失脚するまでの話。
顎十二十八歳。
「紙凧」 *弘化元年
十一月 藤波からの挑戦状。
江戸帰還を叔父庄兵衛はまだ知らず。庄兵衛はまだ顎十を評価せず。「おれを風来坊の大痴だと…」
「ねずみ」 *弘化三年
ひょろ松を介して叔父に入れ知恵。
「稲荷の使」 弘化三年
顎十郎の江戸帰還後。「五年ほど前に甲府勤番の株を…」
* 顎十の年齢と花世の年齢の矛盾。
「都鳥」 *弘化三年
三月 「このあいだの印籠の件(「稲荷の使」)では…」
顎十を再評価し、本音は隠しながらも彼を現場へ連れ出す。
「幽霊旗本」 *弘化三年
六月末の蒸暑い晩
* 藤波の肝を冷やした禁句の話が知られているが、推理の切れはまだ広まっていない。
「三人目」 *弘化三年
「南の藤波を立てつづけに三度、四度鼻を明かした」
「亀屋たばこ入」 *嘉永元年
青山下野守の中間部屋に居候。
* 下野守忠良が老中を辞めて以降、顎十が伊勢守に召される以前と推定。
「離魂病」 *嘉永二年
(春)ひょろ松に誘われて花見。
* 全く情報が無いので執筆順に置く。
「日高川」 *嘉永三年
ひょろ松が御用聞きになって六年。
「閻魔堂橋」 *嘉永七年
梅雨から一ヶ月後
* 黒船来航以降。と言う以外に推定情報無し。
「児雷也昇天」 安政二年
花世十七歳。
「からくり土佐衛門」 安政三年
花世十七・八歳。
「鎌いたち」 *安政三年
花世十七・八歳。
「丹頂鶴」 安政三年
阿部伊勢守の老中在任が安政四年六月まで。
(南町奉行・池田甲斐守、北町奉行・永井播磨守)
「野伏大名」 安政三年
12月 「このほどの丹頂鶴の一件」
「咸臨丸受取」 安政四年
咸臨丸到着の年。
「さみだれ坊主」 *安政五年
梅雨時 花世が登場。年齢は不明だがそろそろ嫁入りの話があっても…。
「貧乏神」 *安政六年
長い残暑 別手組が存在。
「えげれす伊呂波」 安政六年
冬も深く。高輪東禅寺にイギリス領事館が存在。東禅寺事件(文久元年)よりは前と思われる。
「氷献上」 万延元年
六月 加賀の氷献上の謎を解く。
六月三日が土用の丑の日。
「蕃拉布」 *万延元年
横浜開港(安政六年)より後、夏。
「ご代参の乗物」 文久元年
「ヒュースケン襲撃があって以来」
(南町奉行・池田甲斐守、北町奉行・(永井?)播磨守)
* 老中として阿部伊勢守が登場するけど、既に他界していますね。
「遠島船」 文久二年
作中に明記。
「浅草寺消失」 文久二年
残暑厳しい。
伏鐘の重三郎との初対面。
「きつね姫」 文久二年
秋
*「闇かぐら」 で触れられた「お家騒動にまきこまれて、くだらなく働かされた」一件と思われる。
「闇かぐら」 *文久二年
冬(雪の記述が)
* 「徳川さまの天下をくつがえそうという…」西の方のたくらみが具体的に何をさすのか、が難しいが。
「三味線堀」 文久三年
伏鐘の重三郎よりの依頼。夏。
「菊香水」 文久三年
「鹿児島の英吉利騒動」(薩英戦争)の後
「初春狸合戦」 文久四年正月
お役御免(「菊香水」)の後
「猫目の男」 文治元年五月
「永代経」 同六月
「かごやの客」 駕篭屋を始めて半年近く。(朝日文庫版では一年近く)
「両国の大鯨」 同七月
「金鳳釵」 同八月
「小鰭の鮨」 同九月
「いもり」 同十月