由利先生の事件年譜 註釈

* 由利先生の失脚と復活

 由利先生が警察を辞めたのはいつか。これは年譜全体の上限を決定する重要事項だが、昭和三年の治安維持法改正がらみと推定する。

 これは内容的に最初期の事件と推定される「憑かれた女」事件とも関係するのだが、作中の八月二十二日が土曜日なのは昭和六年に該当する。(実は暫定版ではこれを昭和十一年としていたが、作品の発表年が八年であることを失念)この事も由利先生の復活(=探偵デビュー)年を昭和六年とする補完材料となった。

 この「憑かれた女」事件以降、警察との確執も解消され捜査に外部から協力する体制が整ったらしい。

* 由利先生の年齢

 作中で触れられる先生の年齢記述は重要である。先生の年齢がはっきりと書かれているのは「薔薇と鬱金香」で、四十五歳になったばかりとある。この事件が他の記述から昭和十一年と確定するので、先生の成年は明治二十五年と逆算される。なお弟子の三津木俊助の生年は「悪魔の設計図」及び「蜘蛛と百合」に明治四十二年と記載される。

 ここから逆算すると(昭和6年の)復活時点でちょうど四十歳。作中で年齢に触れられている作品の中で若い部類に数えられるのが「幻の女」(40の壮者)と「首吊り船」「木乃伊の花嫁」(40そこそこ)の三作品。これらは六年から七年に掛けてと考えられる。(八年は年代明記の「仮面劇場」がある)

 「首吊り船」は季節が特定出来ないが、”まえの捜査課長”とあるので最初期とし、「木乃伊の花嫁」は探偵として有る程度名が売れている様なので最後尾に据える。以上、「首吊り船」に関しては等々力警部の存在を考慮して別枠とし、三件を暫定的に残りの二件を昭和七年とする。 

 逆に五十にまだ間があると書かれているのが「悪魔の設計図」事件。この表現なら四十代後半であろう。この作品が十三年のモノなのでそれ以前と考えると、十一年は三津木が忙しくて関与が無理なので十二年。由利先生の活動はほとんど一日で収まっているので、続く「蝶々殺人事件」とも抵触しない。

 翻案と言うことで文庫入りを見合わされていた「迷路の三人」ですが、年のころ43・4歳と明記があるので10年の事件とします。(9年は「双仮面」事件で避暑に向かう暇が無い)

* 由利先生の結婚

 戦後に書かれた「蝶々殺人事件」において由利先生の結婚の経緯が描かれる。その流れで「カルメンの死」事件にも巻き込まれる。前者は昭和12年と明記されている。後者は、年代不明だが時節も考慮すると早い時期と考え、取りあえず13年に置く。それにしても、「蝶々」の最後で千恵子夫人が「カルメン殺人事件なんかおこりゃしないから」と笑っていますが、これが戦後すなわち「カルメンの死」事件の後の発言だと思うと…。

* 二つの東都劇場

 完成まで四年を要しながら「薔薇と鬱金香」事件で開幕当日に焼けてしまった東都劇場ですが、同名の劇場が「双仮面」にも登場します。命名が安易な作者なので単なる偶然とも考えられますが。

 同一だとすれば、「双仮面」事件は「薔薇と鬱金香」事件よりも後、しかも11年は「真珠郎」、12年は「蝶々殺人事件」があって入らないので13年以後に成ってしまいます。しかし支那事変以後だとアリ殿下の世界漫遊が難しい。やはりこれは別物とするしかないようです。

 「双仮面」の問題は三津木が登場しないこと。それも考慮してどうにかはまりそうなのが9年から10年となりました。この年のクリスマスには三津木俊助とパーティなんかやっていますが、どうやらこの年はお互いに忙しくてあまり逢っていなかったのかも知れません。(とか書くと残りの事件の推定に支障が出そうですが)

* 黒衣の人

 三津木が四年前の珠美の事件の取材をしている、かつ由利先生本人が現役として捜査に関わっていた風でもない。 ことから考えて、由利先生との再会から4年以内と思われる。8年と9年は塞がっているので7年とする。

* 仮面劇場の旋風(13/09/16改稿)

 「仮面劇場」とその改稿前の「旋風劇場」の比較。

 色々と細かい修正点も有るけど、最大の変更は事件の年代が昭和13年から昭和8年に繰り上がっていること。この改稿は戦後に行われており、由利先生の結婚(「蝶々殺人事件」)との整合性をつける意味も有ったのだろう。

 改稿後の方が志賀恭三の立ち位置がより鮮明になっている。甲野家の財産目当ての犯罪、と見せかけることで恭三と綾子に疑念が向くように設定されているわけだが、旋風劇場の致命的な欠陥は、初出から単行本になる際の校訂で生じたもののようだけど、虹之助と琴絵の血縁関係が消失していること。これにより二人の相似が説明できなくなっている。これは戦後の改稿が必要だったわけです。

 旋風では殺されていた由美が仮面の方で助かったことも、綾子恭三夫妻のヨーロッパ行きの理由付けになっています。そのために繰り上がった年代ですが、6月11日が土曜日なのは昭和8年じゃなくて昭和7年のようです。(よって年表では曜日を記載しませんでした)

 年代が繰り上がったことでヘレン・ケラーとの関連性が薄くなりましたが、(ヘレン女史の来日は昭和12年)、綾子のような女性がヘレンに興味を持つのは十分にありえることなので問題は無いでしょう。

* 震災復興

 由利・三津木モノの第一作である「白蝋変化」では「五十にはかなり間がありそうな」と紹介され、同時に「往年の名捜査課長」であったのが数年前となっています。シリーズ化を予告しているものの、まだどうなるか分からない状態なので記述が微妙にあいまいです。

 これだけだと難しいのですが、もう一つ「震災後」「復興十幾年」というヒントがありました。この震災とは言うまでもなく大正12年の関東大震災。そこから十幾年とすると昭和9年か10年あたりが想定されます。9年は「双仮面」があるので10年ということにしておきます。

* 語られざる大阪出張

 「嵐の道化師」では由利先生は事件発生時に大阪へ出張中で不在。一ヵ月後に帰京して瞬く間に解決してしまう。事件が夏であることは作中の記述からわかる。さてこれは何年の事件か。

 分かっている限りで由利先生の大阪行きは「仮面劇場」事件と「蝶々殺人事件」のみだが、「蝶々」は三津木も同行しているので条件に合致せず。「仮面」の方は帰京後が事件の本番で、しかも由利先生は大阪から三津木に調査依頼をしている。由利は大阪で「新聞を読んで」この事件を知ったのだからこの間に連絡を取り合った形跡は無い。よってこれもなし。

 さて事件の関係者が満州から帰国しており、またその調査が比較的簡単に済んでいることからみて支那事変開始前ではないか推定される。9年は「双仮面」事件で由利先生が動けず、また11年は三津木の方が「蜘蛛と百合」事件に巻き込まれている。よって消去法で10年とする。

* 支那事変

 残り事件が少ないので消去法で類推する。

 残りの4作の内で「焙烙の刑」と「鸚鵡を飼う女」が12年の作品、そして「銀色の舞踏靴」と「血蝙蝠」が14年の作品である。前二つは言うまでも無いが、あとの二つも事変の後の事件と考えるのは難しい。

 「焙烙の刑」は冬から春になる時期の事件で、かつ由利先生に時間の余裕があるという条件がある。12年より前でこの条件が満たされるのは9年の初頭である。「鸚鵡を飼う女」も春の事件で、この二つは比較的短期に片付いたので、同年の事件として差ほど問題を生じない。

 次に「銀色の舞踏靴」は12月末に発売した雑誌の新年号をきっかけとした事件でであるから年初めに起こっていると思われる。婦人雑誌で一年かけて美人投票をやると言う行為が戦時中に出来るのか疑問である。12年の初頭は「真珠郎」事件でかかりっきりなので11年とする。(つまり美人投票はその前年の10年)

 最後に「血蝙蝠であるが、これは事件そのものは八月の末、三津木や由利先生の関与は9月になる。11年の9月なら、二人にも十分な余裕がある。翌12年だと戦争がはじまっていてさすがに避暑ははばかられるだろう。

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