柳生忍法帖・換装 巻の壱

 章題は原作に準じる。

その壱 破戒門

 原作では全く出ない家光が登場し、柳生但馬守や天海僧正との会話を通じて状況説明を行う。特に天海との会話で芦名銅伯に言及している。この辺はライブな連載ではもう少し後に出てくる伏線なのだが、原作が既に存在する関係から隠しても仕方がないと言う判断かも知れない。

 前作に続いて、ナレーションを入れない方針らしい。この拘りが吉と出るか凶と出るか。

 なお、家光を出したのは前作の読者へのサービスかも知れない。なにせ、この話の冒頭に出てくる東慶寺の門はかの駿河大納言忠長の駿河城から移築したモノなのである。

 鎌倉東慶寺へ向かうに際し、原作では「武士の情け」で「最後の対面」をさせてやる、としているのに漫画では殺る気満々である。要するに絵にしにくい七本槍の残虐性を表現する手法であろう。

その弐 堀主水一件〜七凶槍

 主君の要求を敢然と突っぱねる昔の主水と、繋がれて惨劇を目の当たりにする現在の姿が対比的に描かれるのは漫画ならではであろう。

 東慶寺での七本槍の暴虐は活字と漫画では表現に違いが出るのは仕方がない。で、残り七人と言うところで千姫様の登場となる。原作では自分からこれ以上やるなら「あそこに捕らわれている男どもも、この場で解き放ってつかわす」と脅しに掛かるのだが、漫画では七本槍達が先読みして手を引いてしまう。絵がある分だけ、余計なことを喋らなくても納得させてしまう迫力がある。

 原作ではまだ十兵衛の登場は決まっていない、少なくとも読者は予想していないはずなので、此処までの千姫の存在感は抜群です。逆に本来なら主人公であるはずの堀家の女達の影が実に薄い。発表当時に「尼寺五十万石」だった題名が、忍法がほとんど出てこないにも関わらず「柳生忍法帖」とされたのも仕方ないでしょう。

その参 修羅の巷へ

 漫画では三話の終わり、単行本だと真ん中より少し後に、十兵衛先生が登場するが、三話までには序章と付いている。バジリスクでは原作の表題を一切用いずに、X対Xと相互の残り人数を表題にしていたが、今回は原作の副題を利用している。しかし、一章一話という訳には当然いかないので、今後の工夫に注目である。

 門に開けられた穴を見て、陳元贇にに言及する部分は省略。これは今の読者には知名度が低いと言う判断でしょう。

 十兵衛先生と七女の対面。お笛の一発目はわざと受けた感じが出ている。原作では無かった二発目をよけてあしらうシーンがそれを補強している。また、原作ではもっと後に入る伊達黄門と明成のエピソードが十兵衛の口から紹介される。

その肆 蛇の目は七つ

 十兵衛がトレードマークである隻眼を隠すために般若面を被って加藤屋敷へ偵察に入る。

蛇足 堀主水の娘お千絵

 堀女の首領であるが、いまいち影が薄い。「甲賀忍法帖」式の、キャラクターが減っていくタイプの話なら見せ場が作りやすいのだろうが。本来なら主人公でもおかしくない彼女であるが、助っ人として登場した十兵衛にその位置をさらわれ、しかも後半に出てくるあの女の為にヒロインにすら成り得ない。

 未読の方にも言っておきますが、堀の女達は誰も死にません。彼女たちは敵を倒すためには己の命を捨てることも厭いませんが、一人でも死なせてしまってはこの話は成り立ちません。七本槍と堀七女の立場は対等ではないのですから。

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