影と鴉
§1 影三代
影とは「赤い影法師」とその続編「南国群狼伝」に登場する稀代の忍者の名乗りであり、木曾谷にていずこにも属さない隠れ忍者を率いている。
初代は石田三成に仕えて、その出世を文字通り影で支えた。柴田勝家の首を取ったのも彼だと言う。秀吉の衰えを感じた三成は天下取りの野心を膨らませ、影を用いて関白秀次を失脚に追い込み、秀吉の死後に家康と天下の覇権を掛けて戦う。
関ヶ原の合戦の際には影は佐和山城にあり、寝返った小早川秀秋軍の攻撃の最中に主君三成の妾腹の子秀也を救い出すが、三成は秀也を育てる価値なしとして殺してしまった。三成としては関ヶ原の敗戦が己の人望のなさに起因したことを悟り達観していたのだろう。
三成処刑の後、影は一度徳川旗下の伊賀衆に捕えられるが、服部半蔵の助けにより逃れ、十五年後にその恩返しをするのが影の娘子影であった。半蔵に犯された子影が三代目の若影を産む。三成に仕えていた影が徳川方の服部半蔵を助けて真田幸村に従う風盗を殲滅した様に、三代目は真田幸村の六文銭とともに島原の乱を戦う。
§2 熊野の神鴉
影と並んで三成に仕えた忍びが「忍者からす」に登場する鴉である。「赤い影」には鴉は登場しないが、「忍者からす」には影が登場する。それは単純にこちらが後に書かれたからであるが、きちんと整合性が取れている点が流石である。
からすは一人の忍者ではなく、熊野の誓詞に基づいて活動する忍者集団である。「忍者からす」は歴代の鴉の列伝形式だが、三成に仕えたのは五代目。初めは信長に属して桶狭間での勝利を演出するが、信長の勘気を蒙って去り、三方ヶ原では武田勝頼の陣に属していた。これは諏訪の雅姫との契約が関係していると思われる。
鴉が信長の元を去ったのは信長が上洛した永禄十一年なのだが、この同じ時期に今日で山中鹿之介が還俗した尼子勝久を擁立している。実はこの鹿之介の後ろ盾をしていたのがまだ現役であった四代目。もしかするとこのあたりに勘気の原因があるのかもしれない。(信長に尼子再興の後ろ盾になるように進言し、それが差し出がましいと考えられたのでは無いか)
§3 由比正雪
五代目鴉の最後の仕事が三成の娘の救出、と彼女に徳川を呪う男子を産ませること。そこから生まれたのがかの由比正雪となる。正雪は「赤い影法師」にも楠木不伝の弟子として登場するが、こちらの方が先に書かれたので、鴉の加護は無い。まあ彼らは極めてドライで、契約以上のことはしないから男子を産ませることとそれを庇護することは全く別問題なのだろう。