幻の三十年戦争
ドイツ諸侯のカトリック帰正により三十年戦争は起こらない。ではドイツはどうなるのか。
§1 ネーデルラント平定
カトリック教会の権力下で力を増した大ブリテンはネーデルラントへ侵攻する。と序章で書かれているのだから仕方が無い。カトリックに屈した英国がその代償として真っ先に行うのがオランダ侵攻と言うのが流石と言うか。英国人のオランダ嫌いは徹底してるなあと言う感じです。
これによって英蘭のプロテスタント勢力が東インド会社を作ることは無く、当然日本にも来ません。その結果日本がどうなるのかについてはまた別の機会に。
§2 プロテスタント同盟
史実では1607年に誕生したプロテスタント諸侯の同盟であるが、ブリテン軍の侵攻に対抗するために前倒しで1591年に提唱される。史実でもほとんど機能しなかった同盟であるが、参加諸侯の内、アンスバッハ辺境伯ゲオルク・フリードリヒは本家(ブランデンブルク選帝侯)に追従してこの時点で改宗済みとする。
残りもルーテル派のヴュルテンベルク公ルートヴィヒは同盟を拒否して改宗を選択。但し領内の宗教には比較的寛容。プファルツ=ノイブルク公フィリップ・ルートヴィヒも同じく改宗。賛同する可能性があるのは熱狂的なカルヴァン派であるアンハルト侯子クリスティアンと、貴賤結婚で悩んでいたバーデン=バーデン辺境伯エドゥアルト・フォルトゥナートのみ。
バーデン=バーデン辺境伯は実母であるスウェーデン王女セシリアの仲介でカトリックに鞍替え、結婚問題についても法王庁の了解を得る。
提唱者のプファルツ選帝侯フリードリヒは後見役の叔父の死去で押し込めに合い選帝侯位も失う。この後ボヘミア王に選出されるフリードリヒ5世は誕生(1596年生)すらしない。
§3 ボヘミア反乱
ボヘミアのプロテスタント反乱はドイツ諸侯があらかた片付いた後になるので、史実ほど大規模にはならない。更に担ぎ出す神輿(プファルツ選帝侯フリードリヒ5世)も居ない。よってスラブ系からドイツ系への入れ替わりも小規模。最大のポイントはヴァレンシュタインの出番が無いことだろう。(少なくともヴァレンシュタインが考案した軍税から常備軍の創設へ向かう流れは生じない)
§4 スイス解体・前章
史実の三十年戦争では戦場にならなかったスイスであるが、ドイツ諸侯があらかたカトリックに傾いた状況下ではプロテスタント最後の根拠地と言うことになる。(厳密にはイスラム支配下のバルカンにプロテスタント勢力が残ることになるが)
まずジュネーブがフランスの統治下に入る。ジュネーブは元々サヴォイア公国領であり、史実ではサヴォイアの奪還作戦を退けている。サヴォイア公の義父であるスペイン・フィリップ2世がすでに亡くなっていることもフランス(の横取り作戦)に有利に働いた。
サヴォイア軍はジュネーブの代わりにかつてナポリ公国がスイスに奪われたティチーノの奪還作戦に参加する。(ミラノがティチーノを喪失したのはフランス支配の時代)サヴォイア公国が得た代償は帝国からの独立であった。サヴォイア公はピエモンテ王を名乗る。
バーゼルは帰正したドイツ西南の諸侯の攻撃を受け司教領として回復される。ここまでがリシュリュー登場以前の状況になる。
§5 スイス解体
フランスの宰相と成ったリシュリュー枢機卿。史実ではフランス絶対王政の確立のため内ではプロテスタントを弾圧し、外ではドイツのプロテスタント諸侯と結んで対ハプスブルク同盟を展開した。がこの世界ではドイツに介入の余地は無く、むしろカトリック勢力の拡大のために動く。
カトリック勢力の包囲網に晒されて苦境にあるデンマークはスイス傭兵を大量に招聘する。しかし、その間隙を衝いてフランス軍が侵攻する。まずはジュネーブに隣接するローザンヌをベルンの圧政(あくまでフランス視点である)から救い出す。すると皇帝軍のグラウビュンデン進駐で動揺する森林五州もフランスの宗主権も獲得する。その口説き文句は、
「かつての領主であるハプスブルク家の支配化に戻れば必ず報復を受ける。信仰と自由を維持したいのならフランスの下に来たれ」
教皇庁とすれば、カトリック教義に従うなら、支配者は「ハプスブルクでもギーズでも」どちらでも良いわけである。というかハプスブルク家が突出して強大化することを望まないだろう。
グラールスも五州に追従、ゾロトゥルンはバーゼル司教領に参加。カトリックとプロテスタントで分裂したたアッペンツェルもサンクト・ガレン修道院の支配化に復帰。残るは首都ベルンと改革派の本拠チューリヒである。
デンマークの降伏・帰正によりスイスの抵抗も止む。ベルン市は傘下の相次ぐ離反を受けて州の一体編入を条件にフランスに帰属。(編入後に離反地方への報復的な弾圧に併せた反宗教改革が起こる)チューリヒは、ユグノー戦争に破れて亡命したフランス人が多く居たためドイツへの帰属を決める。ただし皇帝フェルディナント1世ではなくその弟レオポルト大公を選ぶ。
§6 ポルトガル王政復古戦争
三十年戦争が発生しないと、そこから派生するカタルーニャ収穫人戦争とポルトガル王政復古戦争も起こらない。逆に内戦を経ない平和的なポルトガルの分離を考える。実際に、イングランドはカトリック国であっても自前の王を戴いているように読める。
と言うわけで史実でポルトガル王となったブラガンサ公ジョアンに替わる王位継承候補としてパルマ公ラヌッチョが選ばれる。ポルトガルの南部アルガルヴェは王位とともにスペインが継承し、アルガルヴェ王に属する北アフリカもスペイン領となる。
これで話が済めば何事も起こらないが、ブラガンサ公ジョアンがいや、史実で彼の背中を押したとされるメディナ=シドニア公の娘ルイサ・デ・グスマンが黙っていないだろう。
ラヌッチョ王の後を継いだのが一人息子のオドアルド。史実では三十年戦争の最中にパルマ公としてフランスと結んでいるが、これがポルトガル王としての行動となればその影響は深刻である。フランスとポルトガルに挟まれたスペインが黙っているはずが無い。ここでブラガンサ公の出番が来る。挙兵のタイミングはルイサ妃が息子を産んだときだろう。
戦争を止めたのは教皇ウルバヌス8世の仲介。史実でもスペインとパルマ公の仲立ちをしているが、この状況では善意の第三者ではありえない。最も損をしたのは謀反を企てたブラガンザ公。ポルトガルに属する公領はスペインに帰属。オドアルド王はポルトガル王位を認められる代わりに、パルマ公領を手放す。これを手に入れるのはウルバヌス教皇。厳密にはその一族バルベリーニ家が獲得する。