北欧・スウェーデンバルト帝国

 ジグムント王の死去まで。 

1588年

四月 デンマーク王フレゼリク4世死去。長子クリスチャン4世即位。

89年

 スウェーデン王ヨハン3世の次男ユーハン誕生。

90年

 生後一歳のユーハン、フィンランド公をあたえられる。

92年

十一月 スウェーデン王ヨハン3世死去。王位は長男でポーランド王であるジグムント3世が継承、セーデルマンランド公爵カール(ヨハンの弟、ジグムントの叔父)が摂政として統治を代行。

 ジグムント、異母弟ユーハンを引き取る。(*史実ではカールが育てる)

93年

三月 ジグムント3世、ウプサラでスウェーデン王(シギスムント)として即位。カトリックの国教化を宣言。

 ウプサラ大学よりプロテスタント系の聖職者が追放され、イエズス会士が迎えられる。(*史実では福音主義の堅持)

94年

 セーデルマンランド公爵カール、反カトリック反乱を起こす。ジグムント王、プロイセン公の援軍を得てカールを退ける。カール、妻の実家ホルシュタイン=ゴットルプ家を頼る。

95年

 ロシア・スウェーデン戦争講和。

 プロイセン大公、ポーランドの宗主権から脱し、新たに神聖ローマ皇帝の直臣となる。

96年

 デンマーク王クリスチャン4世、成人を宣言し親政を開始。

 亡命してきたオランダ人技術者を登用して国軍の整備を始める。

1600年

十月 ケダイネイ合同。スウェーデン=リトアニア連合成立。

 最後まで改宗を拒んだプロテスタント系貴族の粛清。(* リンシェーピングの血浴。史実ではカトリックに対する粛清)

02年

 デンマーク東インド会社設立。(*史実ではオランダ東インド会社。オランダ人亡命者によって組織される)

11年

十月 セーデルマンランド公爵カール死去。デンマーク王クリスティアン4世、カールの遺児グスタフ・アドルフを担いでスウェーデンに侵攻。(* カルマル戦争。史実ではスウェーデン王位を継いだグスタフ・アドルフに対する干渉戦争)

12年

四月 クリスティアン4世の王妃アンナ・カタリーナ死去。王妃の実家ブランデンブルク選帝侯がスウェーデンに味方して参戦。(それまで、皇帝からの出陣命令を拒んでいた)

 デンマークの二公爵(ポンメルン・メクレンブルク)領を含むユトランド半島全土が皇帝軍に占領される。

(*アクセル・オクセンシェルナ、スウェーデン宰相になる)

13年

一月 クレネド条約。

 グスタフ・アドルフはスウェーデン王位への請求権放棄の代償として母の実家ホルシュタイン公に封じられる。前ホルシュタイン公ヨハン・アドルフはオルデンブルク公となる。(共に帝国諸侯としてカトリック改宗)

14年

 デンマーク、新大陸ニューデンマークの領有を宣言。

21年

六月 デンマーク西インド会社創設。(*史実ではオランダ西インド会社)

24年

夏 デンマーク西インド会社による最初の移民。

25年

 フランス宰相リシュリューによるデンマーク包囲網に反発してニーダーザクセンに侵攻。

27年

五月 リューベックの和約。デンマーク王クリスティアン4世退位。息子クリスティアンはデンマーク王位を継承。ノルウェー王位はスウェーデン王ジグムントに継承される。

 デンマーク東インド会社解散。

 クリスティアン5世、ザクセン選帝侯ヨハン・ゲオルクの長女ゾフィー・エレオノーレと結婚。(*史実では34年に三女のマグダレーナ・ジビュレと結婚)

32年

四月 スウェーデン=ノルウェー王(兼リトアニア大公)ジグムント死去。

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