南蛮総無事令

 英蘭が来ないのでその分を日本が埋めることになる。

 マラッカ攻略まで。

1590年

 ナレースワン、アユタヤ王(サンペット2世)に即位。

92年

 秀吉朱印状を発行して朱印船貿易を開始する。

 アユタヤと日本との通商開始。(*史実ではオランダの来航)

11月 黎朝の権臣鄭松が昇龍(ハノイ)を攻略し莫茂洽を討つ。

93年

 ナレースワン王、ロヴェックを占領。

94年

 ナレースワン王、タウングー王朝と開戦。

99年

 ポルトガル人傭兵フェリペ・デ・ブリト、ビルマ南部シリアムで独立割拠(〜1613)。

12月 ニャウンヤン、タウングー王に即位。

1602年

 関白秀次、朱印状を更新。(*家康による朱印状発行)

03年

 ラーンサーン朝がタウングー王朝から独立。

05年

 ナレースワン王、タウングー朝との戦いで陣没。跡を継いだ王弟エーカートッサロット(サンペット3世)はタウングー朝との和平を志向。

 ポルトガル、アンボンの砦を日本に譲渡する。(*史実ではオランダ東インド会社に占領される)

07年

 イスカンダル・ムダ、アチェ王に即位。

 呂宋助左衛門、カンボジアで通商開始。

08年

 アユタヤ朝、日本に外交使節を派遣。(*史実ではオランダ)

09年

 東インド会社、平戸に来航。日本側は商館の建設を拒否するが協力関係を結ぶ。

13年

 スルタン・アグン、ジャワ島中部マタラム王に即位。

17年

 イスカンダル・ムダ、パハンを征服。ムダ、パハンのスルタンの息子イスカンダル・サニに娘タジ・ウル=アラムを娶わせる。

18年

 カンボジア、ウドンに新都造営。

19年

 東インド会社、バタヴィアに要塞を築く。またスマトラ南部パレンバンに商館を建設する。(*史実ではオランダ東インド会社)

 スルタン・クダラットがマギンダナオ王となる。

20年

 スペインからフィリピンを購入。

22年

 東インド会社、マカオを占領(*史実では撃退)。日本の仲介により退去。イエズス会の布教拠点は北平に移動する。

23年

 カンボジアのプレイノコールに日本人入植地。(*史実ではベトナム難民の入植地)

24年

 台湾にオランダ式の安平城を築く。(*史実ではオランダ東インド会社による築城)

25年

 マタラム王国、スラバヤやマドゥーラ島を支配下におく。

27年

六月 デンマーク東インド会社解散。総督クーンはバタヴィア要塞を日本に譲渡。

 ベトナムの鄭阮戦争に介入。

28年

 マタラム王国によるバタヴィア攻撃を撃退。

29年

 アチェ王国海軍、マラッカを攻撃し撃退され壊滅する。アチェ、同じチャム族のチャンパ王国からの大量移民を受け入れる。

 スマトラ島東北部に日本人町を建設。アチェ王国の王都コタラジャ(バンダ・アチェ)との間に街道を開く。

36年

 イスカンダル・ムダ、死去。娘婿イスカンダル・サニがアチェ王位を継承。

39年

 マタラムのアグン王、メッカに使節を派遣しスルタンの称号を得る。

41年

 ジョホール王国とアチェ王国を講和させ、その圧力によりマラッカをポルトガルから購入。(*史実ではオランダ東インド会社による軍事占領)

 イスカンダル・サニ、死去。先王の娘タジ・ウル=アラムがアチェ女王となる。 

45年

六月 マギンダナオ王と日本領ルソンの境界が定まる。(*史実ではスペインのフィリピン総督との講和)

46年

 スルタン・アグン死去。後継者アマンクラト1世との和平が結ばれる。

戻る