東亜三国志
秀吉の唐入りが成功した場合の満州族の興亡流転。
清の成立と朝鮮の臣従。そして日本における島原の乱の発生(つまり鎖国体制の成立)をとりあえずの締めとする。
1586年
三月 イエズス会日本準管区長ガスパール・コエリョ、大坂城で秀吉に謁見。外航用の大型帆船二隻を売却し、引き換えに布教の自由を与えられる。
87年
三月 豊臣軍が鹿児島に上陸。
四月 亀井茲矩、琉球を征服。
五月 島津家、秀吉に降伏。
十二月 総無事令。関東以北の大名の戦闘を禁止する。
88年
七月 刀狩令。海賊統制令。(*史実では海賊停止令)
89年
六月 伊達政宗、芦名氏を滅ぼす。
ヌルハチ、建州五部を統一。満洲国を名乗る。
90年
一月 家康三男秀忠、信雄の娘(秀吉の養女)小姫と婚姻。(*史実では信雄の改易により離縁)
三月 秀吉、小田原に向けて出陣。
四月 秀吉本軍、江戸湾に突入し江戸城を接収。大改築を始める。
七月 小田原開城。
七月 天正遣欧少年使節帰国。
八月 家康、江戸打ち入り。家康の旧領は織田信雄(駿河・遠江・三河)と豊臣秀勝(甲斐・信濃)とに分割。(*史実では信雄は転封を拒んで改易)
九月 秀吉、京に凱旋。
91年
二月 豊臣秀長死去。養子仙丸が家督を継承、秀高と名乗る。
三月 ヴァリニャーノ、少年使節を伴って秀吉に謁見。
四月 秀吉、甥の秀次を後継者に指名、翌月、関白に就任し、併せて豊臣氏長者となる。徳川家康を源氏長者とし、征夷大将軍に任じる。
六月 フランシスコ会宣教師ペドロ・バプチスタ、フィリピン総督より派遣された艦隊とともに来日。
七月 フィリピン艦隊による唐入りの第一陣が出陣。
八月 鶴松死去。
十月 北京落城。神宗を処刑し、長子(光宗)を即位させる。
十一月 南京落城。
92年
二月 寧夏巡撫党香が殺害される。副総兵ボハイは同調せず。(*史実ではボハイの乱)
楊応龍斬刑。嫡子の楊朝棟が挙兵。(*史実では楊応龍の乱)
十一月 大運河沿いの諸都市の掌握完了。
93年
三月 南京遷都。北直隷省を河北省に改名。
イエズス会士マテオ・リッチ(中国名利瑪竇)、北平に招かれる。
94年
顧憲成、職を辞して故郷無錫へ帰郷。
95年
三月 蒲生氏郷死去。氏郷の子秀行は国内へ招聘され、小早川秀包が北平府総督に就任する。
96年
九月 朝鮮王国で反乱。毛利輝元を総大将とする遠征軍が送られる。
十月 イスパニア船サン=フェリペ号、土佐に漂着。日本製のガレオン船を提供されて帰途につく。
97年
一月 朝鮮反乱の鎮圧。宣祖を廃し次男の秀祖(=光海君)を即位させる。国号を和寧と改名。
朝鮮全土に検地を実行。南部三道を日本に割譲。
六月 直隷省全域を掌握、安徽省を分離創設。また浙江布政司を浙江省に改称。
七月 小早川隆景没。
98年
九月 太閤秀吉没。
99年
四月 前田利家死去。
ヌルハチ、海西女直ハダ部を滅ぼす。
1601年
四月 関白秀次、満洲対策として小早川秀包に替わり伊達政宗を北平府総督に任じる。(*史実では秀包の死去)
ヌルハチ、「八旗」制を創設。(この時点では黄・白・紅・藍の四旗)
03年
二月 徳川家康が右大臣に任官。
四月 徳川秀忠が右近衛大将に任官。
フランシスコ会宣教師ルイス・ソテロ、フィリピン・マニラより北平府に渡る。(*史実では日本布教に訪れる)
リンダン・バートル太子が元朝皇帝(北元)に即位。
04年
三月 黒田孝高死去。真田昌幸が後任として招聘される。
顧憲成、東林書院を復興。
05年
四月 家康隠居。征夷大将軍を息子秀忠に継承。源氏長者はそのまま。(史実でも秀忠は源氏長者となっていない)
07年
日本軍の後ろ盾で海西女直イェヘ部がホイファ部を吸収。(*史実ではヌルハチによる併合)
09年
二月 有馬晴信、台湾へ出兵。
13年
海西女直イェヘ部がウラ部を吸収。(*史実ではヌルハチによる併合)扈倫(フルン)国を名乗る。
15年
ヌルハチ、八旗制度を整備(従来の四旗に加えて縁取りのある四旗を加える)。
16年
ヌルハチ、ヘトゥアラ(興京)でハーンに即位し国号を金と定める。
17年
チベット、ダライ・ラマ4世死去。
18年
金軍、明の拠点撫順城を攻撃。
19年
三月 サルフの戦い。ヌルハチ討死。(*史実では後金軍の勝利)
八月 ヌルハチの第八子ホンタイジ(スレ・ハン)即位。母の出身である扈倫国を平和的に併合し女真を統一する。
23年
三月 西人派のクーデターにより秀祖が幽閉され、綾陽君が”朝鮮王”として即位する。
七月 徳川家次(*秀忠の弟、史実では松平忠輝)を第三代の征夷大将軍に任じ、朝鮮半島への支援軍を送る。朝鮮を支援する後金軍と半島で激突。(和金戦争)
明人・李進忠(*史実では宦官魏忠賢)、錦衣衛の長官に抜擢。
24年
一月 和寧王秀祖復位。
モンゴル・ホルチン部の奧巴(オーバ)が北元に帰順。(*史実では後金国ヌルハチへの帰順)
27年
九月 光宗の第一皇子由校(*史実では熹宗天啓帝)没。第五子信王由検が皇太子となる。
陝西で農民反乱。
28年
鄭芝龍、福建遊撃に任命。
リンダン・フトゥクト・ハーン、フヘ・ホト(フフホト)を攻略。
31年
農民反乱の指導者王嘉胤戦死。高迎祥、官軍に帰順。
32年
スレ・ハン、ダハイ(達海)に命じて満洲文字を改良。
34年
後金でスレ・ハン、病没(*史実ではリンダン・ハーンが陣没)。長子ホーゲが継承。
リンダン・フトゥクト・ハーン、青海を制圧。
37年
リンダン・フトゥクト・ハーン、ゲルク派のホシュート部長トゥルバイフ(*グーシ・ハーン)を殲滅。
43年
リンダン・フトゥクト・ハーン、逝去。