東欧・教会大合同

 ヴァーサ朝がスウェーデンを奪還した後にのポーランド王は史実におけるドイツ騎士団長が歴任。

 

89年

 モスクワ総主教庁設立。

91年

 イヴァン四世雷帝の末子ドミトリー死去。(暗殺・事故死・逃亡などの諸説あり)

94年

七月 ウクライナでコサックのヘトマン・ナルィヴァーイコが反乱を起こす。(〜96年 六月 首謀者を捕らえる)

95年

 ジグムント3世、クラクフからワルシャワに遷都(正確には連合王国総首都)。大法官ヤン・ザモイスキをクラクフ総城代に再任し、置き去りにする。(* 史実より一年早い)

 タユッシナ条約。ロシアとスウェーデンの国境が再画定。

 クールラント公国、フリードリヒ(東部ゼムガレン)とヴィルヘルム(西部クールラント)の兄弟で分割される。

96年

 ブレスト合同。ウクライナ東方カトリック教会が成立する。

1598年

一月 ロシアツァーリ・フョードル1世死去。摂政を務めていた義兄ボリス・ゴドゥノフが後継のツァーリを称する。

(以後を”動乱時代”と称するのは続くロマノフ王朝史観でしょう)

 イングランド人・ジェローム・ホーセイ、新王ジェームズの大使としてモスクワに再訪。マリヤ・スターリツカヤと結婚。マリヤはカトリックに改宗。これにより彼女の王位継承権が消滅。

1603年

十一月 ケダイネイ公クシシュトフ・ラジヴィウ死去。領地と称号は次子クシシュトフがカトリック改宗を条件に相続。

04年

三月 死んだはずのフョードルの皇子ドミトリー(史実的には偽ドミトリーと呼ばれる)が現れてロシアツァーリの継承権を主張。ドミトリーはイエズス会の支援を取り付けるためにカトリックに改宗。

六月 ドミトリー、ポーランド=リトアニアのマグナート(大貴族)から提供された兵を引き連れてロシアに向かう。

05年

四月 ボリス・ゴドゥノフ死去。息子フョードルが即位。

五月 ドミトリー、モスクワ入城。フョードル2世を殺害してドミトリー2世として即位する。

 ドミトリー、「母親」マリヤ・ナガヤと対面し、本物と認められる。(*マリヤとその親族はドミトリーの事故死についての責任を負わされたので、復権のためにも認めるほか無かった)

七月 ポーランドの大貴族ヤン・ザモイスキ死去。

十月 ケダイネイ合同。ジグムント、ポーランド王位をプロイセン大公マクシミリアン(ポーランド語読みでマキシミリアノ1世)に譲渡。ポーランド=リトアニア共和国は解体され、新たにスウェーデン=リトアニア連合王国が形成される。リトアニアのマグナート・クシシュトフ・ラジヴィウにケダイネイ公の称号が贈られる。

 ゼムガレン公国がリトアニアに、クールラント公国がポーランドに附属と定められる。

06年

五月 ドミトリー2世、密約に乗っ取ってポーランド貴族の娘マリナ・ムニシュフヴナを正妃に迎える。マリナが正教への改宗を拒んだため、反乱が起きドミトリーは廃位される。(史実では殺害)ヴァシーリー・シュイスキー、議会の支持を受けてツァーリに即位。

六月 ヴァシーリー4世、ドミトリーの墓を暴きその死を証明しようとするが、遺体はモスクワに到着する前に奪い去られる。

八月 ゼブジトフスキの反乱。

07年

 廃帝ドミトリー、トゥシノを根拠地にして抵抗を続ける。(*史実では偽ドミトリー2世の出現)

 ヴァシーリー4世、スウェーデン王国に支援を要請。リヴォニア(スウェーデン領)とスモレンスク(リトアニア領)をジグムントに返還。

08年

二月 オストログスキ公コンスタンティ・ヴァシーリ死去。家督は息子ヤヌシュが継承。ヤヌシュ、カトリックに改宗し所領の一部をホスピタル騎士団に寄進する。

09年

一月 ポーランド王マキリミリアノ王、議会の恩赦請求を拒否して反乱首謀者を処刑。ケダイネイ公ヤヌシュもこれに連座して処刑・領土没収。

 ポーランド、ルーマニア王国を承認。同盟を結ぶ。

10年

三月 ストルボヴァの和約。スモレンスク及びイングリアがリトアニア大公領になる。カレリアはフィンランドとロシアで分割される。

四月 ヴァシーリー4世死去。甥のミハイル・スコピン=シュイスキーが即位する。動乱時代の終焉。(*史実ではミハイルが急死。毒殺といわれる。

七月 モスクワ総主教エルモゲン、ブレスト合同を容認。(引き換えにイエズス会をロシアから退去させる)

 フィンランド典礼教会が誕生。カトリックへの改宗を嫌ったフィンランド人が多く改宗し多数派を占める。ロシア人の支配を嫌った東カレリアからの人口流入がおこる。

12年

二月 エルモゲン総主教死去。ロマノフ家のフィラレート総主教と成る。(*史実では19年まで空位)

 ゾフィア・オレルコヴィチ=スウツキ死去。その遺領は王家に接収。

18年

十一月 ポーランド王マキシミリアノ1世死去。プロイセン大公カロルがポーランド王に選出される。(以後、プロイセン大公位がポーランドの王太子に与えられる慣例ができる)

 ポーランド王カロル、ウクライナ・コサックをカトリック改宗を条件に貴族に登用して懐柔を図る。

21年

十月 ポーランド軍、オスマン軍を破る。

24年

 ポーランド王カロル死去。プロイセン大公レオポルト・ヴィルヘルム、ポーランド王に選出。

32年

四月 スウェーデン=ノルウェー王(兼リトアニア大公)ジグムント死去。長男ヴワディスワフが王位継承。

秋 スモレンスク・カレリア戦争。

 ペトロー・モヒーナ(翌年にキエフ総主教となる)、キエフ・モヒーラ・アカデミーを創設。

33年

十月 モスクワ総主教フィラレート死去。

34年

五月 ポリャノフカ条約。ロシア・スウェーデンが講和。

42年

 キエフ総主教モヒーナ、カトリックの教義を取り入れた新たな正教要理を策定。ルーマニアやロシアの典礼教会でも採用される。

47年

 チェヒルィーンの副長官ダニエル・チャプリンスキ、ボフダン・フメリニツキーの領地を奪う。フメリニツキーの提訴によりチャプリンスキーが処刑される。(*史実では訴えが入れられず翌年にフメリニツキーの乱に発展する)

49年

 ロシア、農奴制を法制化。

52年

八月 ニーコン、モスクワ総主教になる。

54年

七月 ロシア、クリミア・タタールと同盟してポーランドに侵攻。(*史実ではウクライナ・コサックとの同盟)

 ニーコン総主教によるロシア典礼教会の改革。

58年

 ポーランド=ルテニア共和国成立。ウクライナ・コサックに自治を認める。(*史実ではポーランド=リトアニア=ルテニア共和国構想。但しロシアの侵略により誕生せず。)

 ミハウ・コリブト・ヴィシニョヴィエツキ、初代ルテニア公に選出される。(*史実では69年にウクライナ人初のポーランド国王となる)

61年

六月 カルディス条約。ロシア、バルト海への出口を失う。

62年

十一月 ポーランド王レオポルト1世・ヴィルヘルム死去。後継予定のプロイセン公カロル・ヨゼフが幼少のためヤン2世・ソビェスキがポーランド王に選出される。(*史実ではヤン3世)

64年

一月 プロイセン公カロル・ヨゼフ死去。ポーランド王ヤン2世ソビェスキがプロイセン公を兼ねる。

67年

一月 アンドルソヴォ条約。クリミア汗国、ポーランド=ルテニア共和国に併合。(*史実ではロシアが左岸ウクライナとスモレンスクをポーランドから獲得)

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