地動説と科学革命

 作中の歴史改変は天動説から地動説(正しくは太陽中心説と訳すべき)への移行期だった。カトリックへの帰正の流れはこの動きにどのような影響を与えたか。

§1 ケプラーとティコ・ブラーエ

 ティコ・ブラーエはデンマークの天文学者で、その膨大な観測記録は、弟子(本人は共同研究者だと主張)であるヨハネス・ケプラーによって利用されケプラーの法則として結実した。

 両者の出会いはティコ・ブラーエの第二のパトロンであるルドルフ帝の宮廷プラハであったが、カトリック反動が進むドイツへ招かれる可能性は低い。むしろドイツに居られなくなったケプラーの方がデンマークへ遁れるほうが可能性が高いだろう。よって二人の出会いは史実より早まる。ケプラーにとっての不幸は魔女の疑いをかけられた母を救えないかもしれないことだ。

 パトロンであるフレゼリク二世を失い、あらたなパトロンを得られないティコ・ブラーエであるが、それを補填する要素がオランダ難民のもたらす新技術である。ティコの観測は肉眼によるものであったが、望遠鏡を用いることで新たな転機が開けるかもしれない。この新技術の導入に際しては押しかけ弟子のケプラーが大きく寄与することだろう。

 ということでケプラーの法則までは順調に進むものと考える。ただしそれが一般常識となるにはより高いハードルが立ちふさがることになる。

§2 ジョルダーノ・ブルーノとガリレオ

 地動説を唱えたために迫害されたとされる両者であるが、カトリックの総本山のイタリアに居たのだから史実以上の悲惨なことにはならないだろう。特にブルーノの火刑は単に地動説問題だけでなく、異端認定が理由なので動きようがない。

 問題はガリレオの方である。彼の業績に欠かせないのが望遠鏡であるが、彼が自作するきっかけとなったオランダの特許問題は当然に起こらない。舞台をデンマークに移せば済むか、クリスティアン四世の元だと軍事転用が考慮されるから違った状況が現れるかもしれない。例えば軍事機密扱いにされて一般に広まらない可能性もある。但し望遠鏡の発明者としてはナポリのジャンバッティスタ・デッラ・ポルタの名も挙がるので、いずれは辿り着くのかもしれない。

 地動説確立においてガリレオの寄与は実は小さい。例えば彼はケプラーの法則の最大のポイントである楕円軌道説を認めていなかった。ガリレオ裁判が国際情勢(三十年戦争)と連動しているとすれば、既にカトリックの優性が確立している段階ではむしろ異端裁判が起こらないかもしれない。結果としてガリレオの存在感は小さくなるだろう。

§3 デカルトとスピノザ

 史実ではともにオランダに関係を持つ二人だが、プロテスタントが駆逐されたオランダでは両者の居場所は無い。

 フランス生まれのデカルトはイエズス会の学校に入り、信仰と理性の調和に基づく教育を受ける。主著である「方法序説」はスコラ学の教科書としての位置付けになるだろう。スウェーデン王妃クリスティーナ(史実におけるスウェーデン女王)に迎えられて宗教家として終わる。

 両親がユダヤ人であったスピノザは、迫害が発生しないままにポルトガルで生まれ、カトリックに転向(*史実ではユダヤ教を破門)しただろう。主著となる「エチカ」は生前に発表できたかもしれない。

§4 ニュートンとライプニッツ

 近代力学の父ニュートンは、数学的な素養に目覚めることなく、錬金術に傾倒した変わり者の神学者として名を残す。

 彼と微積分の完成を競ったライプニッツは三十年戦争による荒廃が無い、カトリック一色のドイツに生まれる。その研究分野はやはり宗教寄りにならざるを得ない。彼の主著(と成るであろう)「神義論」はカトリック神学に基づく哲学書となるだろう。中国の易から発想した二進法の研究はおそらく行われない。

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