テーマ2 SFと時代劇
相変わらず行き当たりばったりの企画ですが。
SF風時代劇、あるいは時代SF、どちらでも良いですが、今回取り上げるのは、「寛永無明剣」光瀬龍、「我が恋せし淀君」南条範夫、「戦国自衛隊」半村良、の三編です。
各論
まず「寛永無明剣」ですが、これ、時代小説としてはどうなんでしょうか。面白いとは思うんですが、時代小説からSF小説へ切り替わるところがなんか唐突すぎて、木に竹を接ぐというか。SFとしてどうかと言うと、よくあるタイムパトロール物ですが、目的が小さい割(重要ではありますが)に追う側も、追われる側も行動が派手すぎませんか。元がSF畑の作者が初めて挑んだ時代小説として一定の評価は与えられるべき何でしょうけど。
「わが恋せし淀君」。これは上とは逆に時代小説畑の作者が書いたSFという事になります。SF的要素を最小限にして、無理なく展開しているので、非常に面白く読めました。ただ一つだけどうしても納得が行かないのが実はタイトルでして、何で「淀君」? 現代人が淀君と呼ぶのは、まあ良いとしても、本人をこう呼んだら怒られますよ。正しくは淀殿か淀の方。この呼び名は、江戸以降の庶民が、豊臣家を滅ぼした淀殿を揶揄する意図が込められた蔑称のはず。
さて、最後に「戦国自衛隊」です。これは短編なので、上の二作との比較がし難いのですが、アイディアとしてはやや未消化です。この点は作者自身が、アイディアに対する先着権を確保するため承知で出したと述べています。先に映画の方から見たので原作が短いのに唖然とした物です。それにしても、タイムスリップの現場となった新潟・富山の県境は土地勘があるので、とき神様の祠を探しに行きたいと思いました。
映画の方はさておき、田辺節雄さんによって漫画化されていますが、此方には驚くべき事に続編(現在五巻まで→全8巻完結)が有ります。前作で修正しきれなかった部分があって、再び自衛隊を”動員”することになった訳です。戦国自衛隊=御伽衆は成り行きから西軍を勝たせようと動き出しますが、柴田勝家(旧戦国自衛隊の島田三曹)の遺児が出てきたり、一緒にタイムスリップした米軍が東軍に与して現れるなどなかなかに見せ場があります。戦国米軍=伴天連軍の前線指揮官がウイリアム・アダムス大尉と言うのには吹きました。
さて、SFと時代劇の相性について考えてみたのですが。SFの方向から見ていくと、S派(科学派)とF派(ファンタジー派)と言うのがあって、「寛永…」がS派寄りで「…淀君」がF派に近い様です。後者に魅力を覚えた私などは、F派に属するのでしょう。と新たな発見をしてしまいました。しかし客観的に見てもS派は時代小説とは合いにくいように思えるのですが。
時代SF・RPGの可能性
初期のRPGがファンタジーから発生している関係上、日本風の時代劇RPGには魔法的な要素が多く含まれていて、逆に科学的な要素は含有し難いようです。剣戟シーンで光線銃を取り出すのはやはり卑怯くさい気がしますが。どの程度まで取り入れるかはやはり趣味の問題になるでしょう。
今回も結論は有りません。あしからず。