番外03 パクリorインスパイア?
先に断っておきますが、この稿は記憶に頼って書いていますので間違いがあるかも知れません。
今回は二つの漫画作品を比較してみたいと思います。何故今になってこの作品か、と言うのは後で触れます。
一つは神崎将臣が少年キャプテン誌上で連載していた「KAZE」(雑誌の廃刊により未完、その後完全版が出た)、もう一つは上条明峰が週刊少年マガジン誌上にて連載していた「SAMURAI DEEPER KYO」。
事実関係を述べるなら、「KAZE」の連載が92年から96年まで、「KYO」が99年から06年まで。その間に未完だった「KAZE」の方も目出度く完結を迎えています。
発端・関ヶ原
主人公の名は京四郎。関ヶ原に置いて家康の本陣へ斬り込んだらしい。実はこの体は彼本来のモノではなく”狂”という別人のモノである。
だが実のところ「似ている」のはここまでで、歴史事実を大きくねじ曲げている「KAZE」に対して、「KYO」は世界観こそ現代風ですが、表層的な歴史的事実は弄っていません。どちらも信長が復活して敵として登場しますが、「KAZE」ではラスボスなのに対して、「KYO」では真の敵である壬生一族に利用される中ボス扱いでした。
それに対して「KAZE」では信長復活のための繭だった家康が、「KYO」では壬生一族へ従うことを拒んだ初めての天下人として格好良く描かれています。ここまで格好の良い家康は漫画では希有でしょう。
もう一人興味深いのは伊達政宗の扱いでしょう。主人公の仲間として登場するのは共通ですが、その性格が相当に異なります。「KAZE」の彼は実弟を手に掛けたことを悔やんで隠遁してしまうナイーブな性格なのに対して、「KYO」の彼は…。
設定の罠
「KAZE」では復活した覇界王=信長の下に聖獣の力を持つ四人の部下が存在します。一人は復活の為の繭にされた家康。そして家康を使って信長の復活を成し遂げた果心居士=森蘭丸。残りは復活した秀吉と信長の姪である淀の方。それぞれが主人公側の四名に倒されて、その聖獣の力が継承されます。
秀吉が西方の白虎というのは何となく解りますが、彼の聖獣を受け継ぐのが石川五右衛門というのが。紅一点の淀が南方の朱雀を振られるのはほとんどお約束として、四人の首領格である蘭丸が東方の青龍を持つため、消去法で残る北方玄武が家康と言うことになりました。どうせなら、この後に出てくる光秀の方が良かった気もしますが。でも、朱雀=淀と玄武=家康の掛け合いは面白かった。
主人公と信長との因縁がほとんど無かった「KAZE」に対し、「KYO」では本能寺で信長を討ったのが幼き日の主人公であったとされています。ただ本能寺から関ヶ原までは十八年も有りますし、結果的に主人公達の年齢が軒並み三十過ぎという少年誌らしからぬ設定になってしまいました。歴史的事件を絡めるのは色々と厄介なモノです。
ノベライズ
さて、何でまた乏しい記憶を頼りにこんな稿を書くに至ったのかと言えば、古本で「KAZE」のノベライズ本を入手したからでして。
作者は続きを書きたい様子でしたが、出版されたのが96年と言うことは連載誌そのものがそろそろやばい頃な訳で、出版社の梃子入れ策が功を奏しなかったと言うところでしょうか。しかしながら「ノベライズと称して勝手に作品をいじくりまわした」と書いている様に漫画版の設定をほとんど壊していますので、どう足掻いても続きは無理でしょうねえ。
致命的なのは家康が繭から解放されている為に覇界王は復活出来ない辺りでしょうか。まあ果心は生きているので、何か別の方法を考えるのでしょうけど。
徳間って、メディアミックスが下手だ。
史実と虚構
久しぶりに、RPGへの応用について。
史実を背景として持つ世界で遊ぶ場合、プレイヤーの行動が何処まで史実に影響を与えるかと言うのは常に問題となります。歴史改変型か歴史体験型か、予めマスターとプレイヤーの間で話し合って置くべきでしょう。