番外01 ミステリー型とSF型

 僕はスタートが推理小説だから。最後まで考えてないと書けないんですよ。

 ちくま文庫 「風々院風々風々居士」より。

 この一節を読んで、時代小説には大きく二つのタイプに分かれるのではないか、と考えた。

ミステリー型時代小説  

 最後を見据えて全体の構成を取るのでまとまりは良いが、理に落ちすぎる嫌いがある。

 忍法帖の場合、忍法そのもののばかばかしい面白さと、物語全体の仕組みの面白さとがあって、山風は前者を特に重視しているらしい。前者は推理小説では「奇想天外なトリック」に相当するのだが、山風は実際にはこれを考えるのが苦手なようである。だからこそ推理小説からも早々に撤退したのであろう。それでいてその手法だけは完全に染みついている。山風に駄作無しというのはその構成の巧さにこそ起因するのであろう。

 「忍法創世記」が長く本にならなかったのは忍法がつまらないから、ほんとにつまらない小説になったと言う理由らしい。(生前に本に成らなかった為、自己評価されていない)そのアイディアを再利用したのが「柳生十兵衛死す」だと言うのだが、やはりこの作品も評価は低い。

SF型時代小説

 用語として適当かどうか判らないが、構成に拘るミステリー型に対してアイディア重視型だと考えて貰いたい。

 実はこのタイプで真っ先に思いついたのが半村良だったのである。この方は完全にSF畑の作家なので、アイディアに偏している傾向が強い。映画にもなった「戦国自衛隊」などアイディアだけで書いているので何とも勿体ない作品である。その為か、没後になって漫画による続編(後にノベライズ版も)書かれている。

 最後が上手くまとまっているモノもあるが、誰もが挙げるであろう代表作の一つ「妖星伝」のあの結末を見れば一目瞭然であろう。

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