魔獣進化論 番外 魔獣の王 龍とドラゴン

1 中国の龍

 安田喜憲氏の著作「龍の文明 太陽の文明」によれば、龍は「中国北部の遼寧省から内モンゴルの自治区にかけて」「森と草原の狭間に生息する猪や鹿、それに森の中を流れる川に住む魚そして草原の馬をモデルに」「七千年前に」誕生していた。つまり龍とは畑作・牧畜民の合成トーテムであるらしい。これに対し、長江流域の稲作地帯では「太陽信仰と鳥信仰、それに蛇信仰」を持っていた。つまり龍と蛇は元々は異なる文明から発生したのではないか。

 龍と蛇が同一視されるように成ったのは龍を戴く北方民が気候変動に押されて南下した以降だった。元は畑作・牧畜民の最高神であった龍は、長江の稲作民の太陽信仰や鳥信仰の土着の神々の要素も取り込んで水の神へと変身を遂げ、中華文明のシンボルとなる。

 失われた長江文明は我が日本へも伝わったらしいのだが、これ以上は本題から外れるので此処ではこれ以上は触れない。此処では魔獣と言う概念から、蛇が牛と深い縁で繋がっていると言う点について付け加えておく。龍と馬が結びつくように、蛇と牛が対になっているのである。蛇が龍と同一化された結果、龍と対峙するのは残った牛の役目となった。それが龍身の黄帝に対する牛頭の蚩尤(しゆう)=炎帝神農氏である。

 中国では北と南の対決が未だに残っており、決して一枚岩の文化圏ではない。そこが中国文明の懐の深さと言えなくもないが。

2 西洋のドラゴン

 蛇=ドラゴンを神として崇める民族は大規模灌漑農業を主軸とし大地母神を崇拝する。それに対し、キリスト教を受容したヨーロッパは天水農業である。そのためむしろ天候神を至上に据える。ユダヤの神ヤーウェも絶対神として崇拝される以前は普通の(?)天候神であったらしい。蛇=ドラゴンが大河の象徴であるとすれば、大河に頼ってドラゴンを崇める民族と、乾燥地に生まれたため河川との関係が希薄であった民族とでは必然的にその対応に差が出る。何もドラゴンをロケットや宇宙人に見立てる(龍の棺)必要性はない。

 怪物=モンスターと言う言葉の元は東洋のモンスーン=季節風から来ている。それ故東洋の怪物は人間の手には負えない。だが西洋の怪物の多くは異民族の象徴であって人間大のモノが多く、ドラゴンでさえ馬に乗った人間が戦いうる大きさである。ドラゴンはキリスト教の枠内では悪魔の象徴もしくは眷属と見られ、多くの異教徒と同じく征服されるべき存在であった。

 龍とドラゴンの違いは、洋の東西の自然観の違いに起因する物であろう。自然の驚異を素直に認め共存共栄を願う東洋の思想に対し、西洋キリスト教圏では自然は人間と対置される存在であった。それがドラゴンをすら卑小なモノとしたのであろう。

3 巨大昆虫としてのドラゴン

 さて、2章で触れた巨大昆虫論を採用すると、一つの問題が解消するのである。此処に「ドラゴン=巨大昆虫説」を提唱する。

 両生類に始まって爬虫類・鳥類・哺乳類に到る系列は足が二対四本である。これではドラゴンのような羽を含めて三対の足を持つ生物は発生しない。だが昆虫なら足は三対有るではないか。通常の昆虫は足の他に羽を持つではないかと言う意見もあるだろうが、有る程度巨大化すれば、あの様な形状での飛行は不可能に成るであろう。よって飛行能力を得るには足を変化させるしかなくなる。

 

 蛇足:五行説では、昆虫は羽のある物として火の属性(鳳あるいは朱雀)に分類される。一方、龍は鱗のある物の長である。但し東洋の龍は羽がないので西洋のドラゴンとは直接結びける事は出来ないであろう。と言い訳をしておく。

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